■ 譲渡不可能−1 ■


タチの悪い実験することで有名な技術開発局では、ご多分に漏れず、今日も怪しげな薬の開発が行われていた。
局員筆頭にして、頭の3本角が目印の阿近の手には、コポコポという音を立てる試験官。
中身は、いかにも毒々しい蛍光色の紫。
水面からひっきりなしに煙を吹き出しているそれは、一目見て「有毒」と判断されるに相応しい形状のものだった。
しかし、阿近にとってそれは成功を示すものであったらしい。

「良い出来だな……」

にやりと笑うその顔は、開発局局長と大差ない物騒さ。
そして、次に出て来たのは更に物騒な一言。

「さて、ちゃんとバレねぇように、摂取させねぇとな……」


■■■■■■■■■■■■■■


「んじゃ、お疲れさんっすー!」
「お疲れ様ー!」
「お疲れ様」
「ん、お疲れさん」

試験官を前にした阿近が、不敵な笑みを浮かべた時より数えて半日後。
瀞霊廷内にある年季の入った味のある居酒屋の一室では、四人の死神達がささやかな飲み会をスタートさせていた。
メンバーは、この酒宴開催の言い出しっぺである阿散井恋次、同窓生の吉良イヅル、雛森桃、そして3人と何かと縁の
深い霊術院の先輩で、今や同中間管理職でもある檜佐木修兵。
いわゆる、仲良し副隊長4人組である。

「っはー!うっめー!やっぱ夏はビールが一番!ですよね!檜佐木先輩!」
「阿散井、お前、ピッチ早くねぇ?酔いつぶれても、オレは面倒見ねぇぞ?」
「やーだなぁ、これしきの酒で、酔いつぶれたりしませんって!」
「どーだかね……」

わずかに顰められた修兵の眉根が物語る通り、恋次の前には既に空のジョッキが5つ。
飲み会が始まって、まだ15分も経っていないのだから、確かにピッチが早い。
修兵が見るに、今日の恋次は、妙にハイであった。
一方、恋次のこのはしゃぎぶりの原因に心当たりのある吉良と雛森は、2人でこっそりと溜息をついている。

「はしゃいでるわね、阿散井君」
「それはまぁ、無理ないよね。檜佐木さんと飲むの、久しぶりだからね」

そう。今日は恋次にとっては久々の飲み、もう少し正確に言えば『久々の檜佐木修兵との飲み』なのである。
しかも、目の上のたんこぶ抜き−−−もとい、六車拳西抜きの。
吉良と雛森も一緒であったが、恋次にとってはこの2人、カモフラージュという意味が大きい。
2人もうすうす、その事に勘付いてはいた。だからこその溜息である。
しかし一方、ここ最近の恋次の不憫さを、他の誰より知っている2人である。
仮面の軍勢組が護廷隊に復帰し、中でも修兵の長年の想い人であった六車拳西が、修兵の希望通り9番隊の隊長に復帰
してからと言うもの、恋次がどれだけ切羽詰まっていたのかを、吉良と雛森はつぶさに見てきた。
ただでさえ修兵が拳西の傍を離れたがらないのに、また仮面の軍勢組のガードが厳しく、会話を交わすどころか、ろくろく顔
も見れない状態が、長らく続き……そんな状況で、恋次と修兵が2人で飲みに行くなど、夢のまた夢。
けれど、修兵に会いたい、話をしたい、触れたい、あわよくば拳西から奪ってしまいたい、と言う思いが募りに募り、限界を
向かえた恋次が、精一杯考えた後にひねり出した苦肉の策がこの4人での飲み会だったのだ。
阿散井恋次という男、決断さえしてしまえば、その後の行動は早い。

「霊術院の先輩後輩で久々に飲みたいんで、来週、檜佐木先輩をお借りしたいんすけどー」

九番隊の執務室で背中一面にダラダラと脂汗を流しながら、恋次がそう告げたのは、1週間前−−−修兵と拳西が、丁度
仲良く3時の休憩を取っているときのことだった。
この時うかつにもノック抜きで入室した恋次は、2人の纏綿情緒たる光景−−−ちなみに詳述すれば、拳西の膝の上に
修兵がのっかって見つめ合ってるという一枚絵だが−−−に出くわすことになったのだが、それにもめげず、ついでに
自分の思惑がばれないことを必死で祈りながら、先の台詞を述べたわけである。

「えとー……駄目、っすかね、檜佐木先輩」
「来週?んー……6時からって言ったよな。何か予定ありましたっけ、拳西さん」
「残念なことに、今のところ何もねぇな」
「じゃあ、行って来てもいいですか?オレも、恋次達と飲むの久しぶりですし」
「いい、けどよ」
「?……拳西さん?」
「あー……」

いささか不機嫌な顔をして、何事かを言い淀む拳西。
その様子にピンと来たのか、これ以上ない位嬉しそうな顔をした修兵は、

「解ってます。夜更かしは、拳西さんとしかしませんよ……」

そんな天然爆弾発言をし、しかも自分のその発言が恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして拳西に抱き付く始末。
クールビューティーでキャリアな9番隊副隊長も、拳西を前にしては完全なる乙女。
で、これが可愛くないわけがない。

「お前なぁ……この後のフォローは、オレがするワケか?」
「ぅー……だってー……」
(おおおおおい!だって、じゃねぇよ!あぁくそ!可愛いし!何だよその甘え方!オレにもそうしろよ!)

−−−と、まぁ、2人の甘いピンクな空気に充てられながら−−−ついでに修兵の艶姿にその後しっかり鼻血も出しながら
−−−ようやくこぎ着けたのが今日の飲み会。これは恋次がハイになるのも無理はない。
吉良も雛森も、ある程度なら見て見ぬふりをしてあげようという考えでいるらしく、恋次の思惑に気が付いていても、
そこをあえてつつこうとはしなかった。
つまり、お膳立ては整っていた、と言うことになる。
だが大変残念なことに、運だけは、ほとほと恋次に味方してくれなかったらしい。
「っしゃー!6杯目終了ー!」と、恋次が勢いよくジョッキを空にする少し前から、事件は起こっていたのである。

「あれっ?ねぇ吉良君。何か、部屋、暗くない?」
「暗い?ここが?そう言えば確かに少し周りが見づらいけど……」
「でしょ?電球が切れかかってるのかしら」

だが、雛森の分析はちょっとばかり違っていた。
正確には、どこから発生したのか定かではない白煙が、恋次達のいる座敷の中だけを真っ白にし初めていたのである。
そして、酔いの回り出した恋次が気付いた頃には、もうほとんど部屋は真っ白。
各々の顔も、はっきり見えない状態で。

「ぶはっ、な、なんだこりゃ!?」
「うわぁ……気付くの遅いよ、阿散井君」
「気付いてたなら、教えろよ!吉良!」
「大丈夫だよ、別に火事じゃないみたいだから」
「それに鬼道の類でもないみたい。ドライアイスかなぁ……」
「雛森も、んな悠長なこと言ってる場合か!っそ、そうだ、先輩、大丈夫っすか!?」
「大丈夫に決まってるだろ。阿散井君一人で盛り上がりすぎだよ」
「じゃあ、なんで返事がないんだよ!先輩!檜佐木先輩!」
「あー、もう平気だって。ほら、どんどん煙が引いて行くじゃないか」
「あら本当、でも結局何だったのかしらね」

焦る恋次に対して吉良と雛森は呑気なものである。
だが、吉良の言う通り、一時濃霧にも似た白さで包まれていた部屋の空気が、徐々にその透明度を取り戻しつつあった。
薄らいでいく白煙の中、徐々にお互いのシルエットが明らかになっていく。
雛森、吉良、恋次、そして−−−−

「………へ?」
「えっ!?」
「………ひ、さぎさん?」

今の今まで修兵が座っていた席にいたのは、幼い、と言う表現そのままの子供。
それも、修兵に面差しのよく似た。
ぶかぶかになった死覇装に埋もれて、きょとんとした表情で恋次達を見つめたその子供は−−−

「う゛っ……ひぅ……」
「え、あ。ちょ……っ」
「う゛ぁあああああんっっっっ」

………いきなり泣き出した。
だがおかしい。冷静に判断すれば、この子供は檜佐木修兵が……縮んだもののようなのだ。
否、単に身体の縮尺が変わったのではなく、子供になったと表するべきか。
顔の右半分を走っている傷はなく、特徴的な刺青もない。
だが頭の所々で跳ねている猫っ毛、そして所々垣間見られる面影も、紛れもなく檜佐木修兵のものである。
ならば、恋次達を見て、なにゆえにこうも泣き出すのか。
一体、何が泣きのツボだったのか、恋次達には見当も付かない。

「おおおいっ!何で泣くんだよ檜佐木先輩!」

だが、まさか泣かれるとは思っていなかった恋次が、そうやって思わず声を荒げたのがいけなかった。
一瞬、びくりと身体を震わせ硬直した修兵は、恋次の顔をマジマジと見−−−

「う……うぁああああああんん!!」
「あー、もう何やってるんだよ、阿散井君!」
「そうよ。小さな子には、ただでさえ刺激が強いんだからね、阿散井君の顔は!!」
「おい、雛森……なにげに非道いぞ、お前」

だが、時既に遅し。端的に言えば、ヤってしまったわけである。
修兵と思われる子供は、恋次の怒鳴り声を機に、更に激しく泣き始めた。
「檜佐木先輩、どうしたんですか」と雛森が優しい顔で声を掛けてみても、全く何も聞こうとしてくれない。

「どうしよう……」
「どうしたもんかねぇ……」
「おぉい吉良!そんな悠長に構えている場合かよ!」
「誰のせいだよ、誰の」
「うっ……」
「はぁ……まぁ、それにしても困ったね」

恋次達3人が修兵を知ったのは、霊術院。
それ以前、彼がどこでどんな人生を送ってきたのか恋次達は、全く知らない。
顔の69の刺青の由来だって、拳西の出現によって、やっと知ることが出来た位なのだ。
そのため、この年頃の修兵が、何をすれば泣き止んでくれるのかなど、見当が付かない。
ついでに小さな子供の扱い方についても、既婚者が周囲にいない3人は不得手の一言に尽きた。
そんな恋次達に、これだけ激しく泣く修兵を泣き止ませろと言うのは端から無理な話。

「……保育士さんってどこの隊にいるのかな」
「どこにもいねぇよ!阿呆か吉良!」
「と、とりあえず4番隊の誰かを呼んでみましょう。あそこの荻堂さんあたりならなんとか−−−」

そう言って、雛森が伝令神機に手をかけようとしたその時であった。

「修兵っっっっ!!!!」
「どわぁっっ!」

爆音と共に登場した、まさかで最悪な人物の正体に、恋次が仰け反る。
勢い余って、障子張りの引き戸を吹っ飛ばしながら座敷へ上がり込んできたのは、旧並びに現9番隊隊長の六車拳西であった。
隊長らしからぬ息の切らし方を見ると、どうやら全速力でここへやって来たらしい。
「な、何であんたがここに……!」という恋次の苦情は、完全無視。
そして、修兵の異変を確認するや否や、死覇装ごとその小さな身体を抱き上げた。

「修兵、男ならぴーぴー泣くな、っつったろ?」
「っ……けんせぇえー……」

端から見れば、いささか乱暴な言動は、しかし小さな修兵にとって何より安心できるものであったらしい。
いよいよ本格的に泣き出した修兵は、拳西の首根っこに縋り付いて何度もその名を呼んだ。
「こら、呼び捨てにすんな」と言いながらも、拳西の顔は嬉しそうだ。
今と変わらぬ猫っ毛をくしゃくしゃと混ぜ撫でてやると、修兵もようやく落ち着いてきたらしい。
顔を上げ、涙で真っ赤になった瞳で拳西を見つめ、「けんせぇ……」と小さく呟く。
少なくとも、拳西のことを怖がってはいないようであるが、これには恋次、大いに納得がいかない。

「ちょ、な、何なんすか!なんで六車隊長だと泣かねぇんだよ!先輩!」
「ん、オレだと?……なら、修兵が泣いたのはオマエらが原因なのか?」
「不本意ながらそうっすよ!何かオレの顔見て、盛大に泣き出したんすよ、檜佐木先輩は!て言うか、何であんたはここに!?」
「あ?修兵の霊圧に急激な乱れを感じたから、何かあったのかと思ってな。来てみたら……これだ」
「じゃあそれ……やっぱり檜佐木先輩なんすよね?」
「あぁ。間違いなく子供の頃の修兵だ。外見には覚えがあるし、霊圧も同じ……な、修兵オレのこと解るか?」
「?……解る?」
「あー……何つうぅかだな……オレの名前、もっかい言えるか、修兵」
「けんせぇ。69の人」
「おし。解ってるな。じゃあ、こっちの3人は」
「………知らない」
「えぇえぇええええっ!?それはないでしょう、檜佐木先輩っ!!」
「ひ……ッ」
「あ゛、やべ……」
「う゛ゅ……ぅっ」
「修兵、泣くなよ」
「ぅ、う゛ぁ、いっ」

拳西に釘を刺された修兵が、何とか踏みとどまる。

「お、ちゃんとこらえたか」

頑張ったごほうびは、拳西の優しい手。

「偉いな、修兵」
「けんせー……」

大好きな人に褒めてもらいながら、零れっぱなしだった涙も手で拭ってもらった修兵は、今度は甘えるように拳西に抱き付いた。
端から見るとまるで、大きな銀色の虎に守られている黒い仔猫といったところ。

「けんせ……」
「安心しろ。オレがいるから、もう大丈夫だ」
「ぅー……んー……」
「ん?修兵?」
「あれっ、先輩?先輩……?」

大好きな拳西に優しく声を掛けられて、肌に触れてもらって。
今までの緊張がどっと解けたらしく、修兵はその大きな反動で気を失ってしまったらしい。
小さな身体は拳西の腕の中で、完全に弛緩してしまっていた。

「ん……丁度良い、寝てろ」

ややこしい話は、大人だけですればいいと、自分にくたりと凭れた身体を愛おしげに抱え直した拳西は、ぷくりと
子供らしくふくらんだ頬に、優しく優しく口づけた。無論、恋次が引きつった叫び声をあげたことは言うまでもない。
だが、それを綺麗さっぱりと聞き流した拳西は、何事もなかったかのように荒れた座敷を一歩出ると、

「ま、何が何だかわからねぇが、修兵はオレが預かる」
「は!?何で!?オレが預かりますよ!」
「無理だろ。お前じゃ面倒みきれねぇだろうし、大体ものの見事に怖がられてるじゃねぇか」
「け、けど……!」
「それに第一、修兵はオレのもんだ」
「あぁ、それもそうですよね」
「おぉい!納得するな、吉良!」
「じゃーぁな」
「うおおおおおい!ちょっと待てって、六車隊長!!」
「却下」

一言でそう結論を述べた後、修兵と共に、拳西はふいとその姿を消した。
隊長クラスの全力の瞬歩、である。
無論、酔った状態の恋次が捕まえられる代物ではない。

「あーーー!また取られたーーーー!!人の言うこと何っにも聞きやしねぇ、あの人はーーーー!!」

悔しさに任せて大声を出してみるが、まぁどうしようもない。
せいぜい出来ることは、吉良に八つ当たるくらいのものである。
つまり当然、吉良はこの後恋次にからまれて、限界を超える酒量を摂取せざるを得なくなったわけであるが
−−−問題は修兵である。

「…………なーんで子供になっちまったんだよ」

その頃、無事、9番隊の執務室へと戻ってきた拳西は、自分の腕の中でいつしか眠ってしまっていた修兵を見て、
ぽつりとそう呟いた。
あの日、意に反した別れが訪れる前、巨大虚から助けたときと、寸分違わぬ姿形。
ただの一度しか触れることの出来なかった肌−−−今自分が抱えているそれは、忘れられることの出来なかった
ぬくもりと全く同じ温度を持っている。
つまり何もかもが、あの日のまま……。

「オレだけ解ってるって言うのは、そう言うことなんだろうな……」

ならば、自分がしなければならないことは−−−−

「けん……せ」
「解ってる。今度は絶対に一緒だ……」

無意識に、自分を求めて名を呼ぶ声。
今は小さなその声の持ち主を守るように抱きしめた拳西は、自身もしばしの睡眠を求めて、目を閉じたのであった。



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