■ 逆転の場所 ■




護廷十三隊九番隊、別名「瀞霊廷通信編集部」
オレが隊長を務めるこの隊は、一ヶ月につき約一週間、かならず忙しい時期がやってくる隊である。
そしてご多分に漏れず、今月もその時期が到来。
徹夜こそないものの、規定の勤務時間を超える日が続いて早三日−−−編集作業自体はようやく折り返し地点にたどり着いたものの、
そろそろ体力的にも精神的にも限界が近付いてきていた、四日目の昼下がりのことである。
他隊から届く原稿がひっきりなしに宙を飛ぶ編集室、その扉から、ひょこっと顔を出したものがあった。

「拳西さん……」

扉に手をかけ遠慮がちにオレの名を呼んだのは霊術院の着物を身に纏った青年−−−霊術院の六回生にしてオレの養い子、
且つ恋人でもある檜佐木修兵である。
幼い頃、虚に襲われていたところを助けたのが縁でオレが引き取った修兵は、生粋の九番隊育ち。
九番隊の全隊士にとってみれば、家族同然の存在だ。
「あっ、修ちゃん!」と嬉しそうに叫んだ白を皮切りに、衛島や藤堂達も口々に修兵を呼ぶ。
だが、当の修兵は、なかなか部屋に入ってこない。
理由は、オレ達が仕事中であることと、あいつがまだ正式には死神ではない事。
「入ってもいいですか?」と目で問う仕草に、オレが頷いてやると、ようやく部屋に入ってくる。子どもの頃からここを知っているし、
出入りだって頻繁なのだから、そんな気遣い今更無用なのに、そう言うところはきちんとけじめを付けるのが修兵らしい。
しかしそれにしても、修兵は本当に良く育った。
あの衝撃的な出会いから数十年−−−可愛らしかった子どもはすっかりと美人に成長し、オレ用の編集机に向かって歩いてくる姿さえ
どこか色香が漂う。
肩口でさらさらと揺れる髪を見、その触り心地を思い出せば、今すぐにでもその身を抱いて髪に触れたくなった。
その衝動が抑えきれず、修兵がこちらに辿り着く前に机を離れたオレは、丁度白の机の前で修兵と向かい合わせに。
だが、今まさに修兵を抱こうとしたオレに、「修ちゃーん」と机の持ち主から邪魔が入る。

「ねーねー、今日はもう授業終わったのー?修ちゃーん?」
「はい、久南副隊長。それでその、拳西さんを……」
「んもー、また拳西ー?こんなのほっといて、白と遊ぼーよー」
「おい、白、てめぇ……」
「なによー、莫迦拳西ー?」
「あぁ?てめぇ、莫迦はどっちだ!そもそもこの忙しさだって、てめぇがほっぽらかしといた編集作業が……!」
「け、拳西さん、落ち着いて……久南副隊長も、拳西さんをあまり怒らせないで下さい……!」
「ぷー、そうやって修ちゃんはいっつも莫迦拳西の味方してー!そんなに拳西が好きー?」
「く、久南副隊長……っ!」
「おらぁ、白!てめぇいい加減にしやがれ!」
「ふーんだ、バーカバーカ莫迦拳西!いいもん、白だってハッちんのところ行くもん!拳西なんか修ちゃんに愛されすぎてメロメロになって
溶けちゃえばいーんだー!!」
「誰が溶けるだ、この……!」
「け、拳西さん!もうっ、良いから行きますよ!」
「そーだそーだ!修ちゃんの愛を独り占めな拳西なんかどっかいっちゃえー!べー!」
「く、久南副隊長も…!今から休憩時間にしてくれて大丈夫ですから、衛島さん達も、オレ達が戻ってくるまで作業の手を休めて下さい。
それでその……け、拳西さんをお借りしますっ、お、お邪魔しました!拳西さん、い、行きますよっ……!」
「あ、お、おう……」

必要なことを一気に捲し立てた修兵が、オレの手を引いて歩いていく。
そのまま編集室をあとにしたオレは、修兵に手を引かれるまま、足早に廊下を歩いた。

(修兵のヤツ、大分照れてんな……)

なにせ歩くペースが、おっそろしく速い。
オレの目から顔を隠したくてそうしているのだろうが、歩く速さで逆に横髪がすべて風に靡き、結果、オレの目に映るのは、真っ赤に染まった
修兵の頬と耳。非常に僅かだが、目も潤んでいる。
白にあぁやってオレとのことを言われるのはいつものことなのに、それでも毎回修兵はこうなるのだ。
声に出せばまた恥ずかしがるから言わねぇが、本当に……可愛いヤツ。
顔の火照りを鎮めるためか、目的地に対してはいささか遠回りのルートを選ぶ様も本当に可愛い。
そうやってほんの少しばかり多く時間をかけ、修兵がオレを連れて行ったのは隊舎の第三書庫。
但し書庫と言っても、本を読む隊士が少ない九番隊にあっては、ほとんど空き部屋のようなものだ。
今も室内にあるのは僅かばかりの兵法書と高位鬼道の解説書。またそのどれもが隊士ではなく、この修兵に請われて買ったものであると
いうのだから、九番隊隊士の本嫌いは筋金入りである。
そんなわけで室内は大層がらんとしたもの。普段は静かなだけが取り柄の部屋だ。
ただ建物の構造上、この季節、ここは眠るには最高の場所でもあるのだ。
残暑のキツイ日ざしが直接には当たらず、しかし空気も冷え切りはしない。
草履を脱ぎ、一足先に畳張りの床へと足を踏み入れた修兵が、擦り硝子の嵌った窓を開ける。
すると、特徴的なくせっ毛を軽く揺らす程度の風が室内を通り抜け、間接光にも似た穏やかな光が、修兵の回りにだけ現れた。
光の差し込むその場所が、オレ達のテリトリーらしく、修兵がすとんと腰を下ろす。
きちんと正座をしたその姿は、窓から入る光に照らされ、まるで完成された一枚絵のようだった。
こう言うとき、心から思う−−−こいつ、本当に綺麗だ。

「拳西さん……」

穏やかに笑った修兵が、少し恥ずかしげにオレを呼ぶ。
その声に誘われるように部屋に上がり、修兵の膝の上に頭を落としたオレは、そのままごろりと畳の上に仰向けに寝転がった。
要は、修兵に膝枕をしてもらっている状態だ。一体何処に用意していたのか、すかさず身体には薄手の布団が、目には明かりを
避けるための覆いがかけられる。
そして頭には、ゆっくりと髪を梳いてくれる修兵の手。室内の涼しい空気と修兵の手のひらの温度の差が心地良い。
寒くないですか、と問う声に否の返事を返し、こちらからも短く問う。

「修兵、今日は……?」
「えっと、三時間位……起きる頃には丁度夕食の時間ですから、ご飯を食べて……それから作業しても日付が変わる前に仕事は終わりますよ」
「ん、了解……」
「身体、どこか辛くないですか?」
「平気だよ。お前の観察眼は確かだからな……おかげで無用な残業をしなくて済んでるし、それでも期日までにちゃんと仕事は終わるし、
白も鉢玄の所に行く時間が出来て喜んでる。衛島達も机にかじり付いていなきゃならない時間が減って有り難いとさ」
「そう、ですか…?」
「あぁ……お前のおかげで、仕事の効率がしっかり上がってるんだ。やるときはやる、休むときは休む。その絶妙なタイミングをお前が計って
くれるおかげで、あいつらは常にベストなコンディションで仕事が出来る。オレ達は本当に助かってるよ。もちろん、オレ個人もな。オレの疲れが
一番ピークになるときに、こうやってお前がちゃんと休みを取らせるようにしてくれるからこそ、オレは毎日、しっかり仕事が出来る。お前と過ごす
時間も、ちゃんと作ってやれる」
「はい……」
「本当に……ありがとな、修兵。あん時からずっとオレはお前に−−−」
「えっ、や、やだ、拳西さん……!」
「?……ん?何だよどうした?」
「あ、あの時のことは、その……思い出さないで……」
「?……んだよ、いーじゃねぇか」
「良くないですっ!いっ、今思い出しても恥ずかしいんですから……」
「恥ずかしい?……あぁ、そうか」

そういえば、そうだったな−−−−何の気無しにそう呟いて、口角を少しだけ持ち上げれば、オレの髪を梳く修兵の手が、ぴくんと跳ねたのが解った。
目に覆いがかかっていて見えないが、修兵は今、これ以上ない位真っ赤な顔して俯いていることだろう。
それこそ、あの時と同じように……。
いつしか温度の上がっていった修兵の手の動きに誘われるように、オレはゆるゆると意識を過去に飛ばしていった。


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あの時のこと−−−それを話すためには、修兵がまだ五回生の頃にさかのぼらなければならない。

オレ達九番隊はその月も、瀞霊廷通信の編集作業におわれていた。
まさに文字通りの『忙殺』だ。
瀞霊廷通信の編集作業による繁忙期−−−九番隊には月に一度、確かにそう言う時期が巡ってくる。
だが、それでも普段ならば、何日も夜を押した作業をする必要はない。
ところが来月号がイコール新年号、普段にも増して頁数が多いところへ持ってきて、〆切を守らぬ輩がゴロゴロ。
それに乗じた白が得意のサボリ癖を発動したとあって、編集長のオレに限っては、少なくとも三日は徹夜日を盛り込まなければ話にならないと
言う惨状。仕方ない、それが組織の上に立つと言うことだ。
まぁ、何でウチみたいな隊に、そう言う仕事が課されることになるのか甚だ疑問であるが、しかし、伝統的にそうなのだからと言われれば、
反論の術はない。
それに、向き不向きで投げ出して良い仕事なんてものはないのだ。
仕方なく、一昨日昨日と連続で徹夜仕事をこなし、今日がラストの三日目。
今日も修兵に心配をかけまいと、飯も風呂も済ませて一緒にベッドに入りこそしたものの、一時間もしない内に目を覚ましたオレは、
横で眠っているはずの修兵の様子を、そっと窺った。

(眠ってるよな。起きねぇ……よな)

どうやら……大丈夫そうだ。
オレの腕の中で、すぅすぅと寝息を立てている修兵は、これ以上ない位安心した表情で眠っている。
昨日一昨日と同じく、夕飯に少しばかり盛った『一服』が大分効いているらしい。
だが、敏感で聡い修兵のこと、油断は禁物だ。
この安らかな眠りを、オレの都合で妨げたくはない。
ゆっくりゆっくり身体を離し、たっぷりと時間をかけてベッドから身体を出したオレは、寝間着にしている浴衣から死覇装へと着替え、自然と出てくる
生欠伸をやっとの思いで噛み殺した。

(くっそ……眠い)

今日が最後と決めた徹夜、しかしさすがに身体がキツイ。
ちゃんと予定通り仕事が片付いてくれればよいが、明日も徹夜が必至なんて事になったらどうしたものか。
オレ自身が眠れないことも辛い。
だがそれ以上に、修兵を一人で寝かせてしまっていることが、オレには何より辛かった。
もう二日も一緒に眠ってやれていないのだ。
今日を入れれば三日、オレは修兵を一人にしている。
夕飯に盛った睡眠薬は−−−修兵の身体に悪い影響を残さない程度に−−−強力なものだし、第一もう五回生だから、一人で眠れるはずだろうと
他人は言うだろうが、そう言う問題ではないのだ。
ベッドの中の修兵に「ごめんな」と詫びて、オレの存在を残すように頬に長く口付ける。
離れ際に頭を撫でてやれば、甘えるような声で修兵が啼いた。
まるでオレを求めるようなその声に、傍に居てやりたいと思うが……すまない。
起きる気配がないのが、唯一の救いだ。

(明日は必ず一緒に眠るから……ごめんな、修兵)

心の中で深く詫びて、オレはそっと寝室を出た。
扉を閉める直前、最後にもう一度だけ修兵が眠っていることを確認してから、部屋を離れる。
今から隊舎の編集室に行って、修兵の起床時間である朝の六時ギリギリまで仕事。
逆算すれば約七、八時間は作業に時間が取れる。それで何とか終わってくれれば良いが……。

(よし、行くか……)

何事もないとは思うが、用心するに越したことはないと、家中の鍵に鬼道の縛を施し、オレは九番隊の隊舎へと向かった。
短い道中で思い出したのは、九番隊で引き取ったばかりの頃の修兵−−−今もそうだが、幼い頃の修兵は本当に敏感で、オレが付いていなければ、
決して眠ることの出来ない子どもだった。
一体何で気付いてしまうのかは解らないが、オレがちょっとでも離れる素振りを見せると、一瞬で覚醒するのだ。
仕方なく、今回みたいに薬を盛ったこともあった。
傍に誰かが付いていれば大丈夫かと、真子や浮竹に修兵を預けたこともあった。
だが、どれもこれも全くの不成功−−−仕事から帰ってきたオレが必ず目にすることになったのは、オレがいない間、あの小さな身体でずっと
泣き続けていたであろう修兵の姿だった。
何度かそんな経験を繰り返して解ったのは、幼い修兵にはオレが付いていなければ駄目だという事実。
そんなわけで修兵を引き取ってから最初の数年間、オレは夜の屋外任務に出動することを拒み続け、執務室で夜を徹した書類業務に負われる
場合は、必ず執務室に修兵を連れていった。
数年後、ここでの生活に慣れた頃には、ようやく泣くことはしなくなったものの、けれど一方、オレなしで修兵が眠らないことには全く変わりがなかった。
どうやったら修兵は一人で眠れるものかと、当時は随分やきもきしたものだ。
しかし、あれから多くの月日が流れた今、状況は色々と変わった。
一人で眠れないのは、もはや修兵だけじゃない。今やそれはオレも同じなのだ。
それを知ったのは、修兵が四回生になった頃だっただろうか。
その頃の話になるが、オレは一度、修兵と寝所を分かとうとしたことがある。
その決断に踏み切ったのは、真子や浦原からの忠告と、何よりオレが計算した自分自身の理性の保ち用−−−有り体に言えば、驚くほど美しく
育った年頃の修兵に手を出さない自信がなかったのだ。
そんなわけで「もう、一人で寝る歳だからな」なんていう逃げ口上を修兵に言い聞かせ、ものは試しとふすまを隔てた隣の部屋に修兵を寝かせてみた。
これなら一応、『別々に寝ている』事になるし、この距離なら何か起きたときにすぐに傍に行ってやれる。
正直なところオレは、一人の夜に耐えかねた修兵が、オレの添い寝を請うてくれることを待っていたのかも知れない。
だが、希望に反して修兵からのヘルプはなく、何事もないまま三日−−−そしてそんな状況に折れたのは、オレの方だった。
自分でも驚くほど、全く……本当に全く眠れなかったのだ。
こうして一人になって、初めて解った。
修兵の体温や匂い、そして肌を通して伝わる鼓動なしでは、オレはもはや眠れぬようになっていたらしい。
成長にしたがって、オレよりも低くなっていった修兵の体温。それは逆に高いオレのそれと混じり合って、丁度良いぬくもりをオレ達にもたらしてくれる。
同じ石鹸やシャンプーを使っているはずなのに、まるで咲きたての花のように甘い修兵の匂い、そして、オレといるときのみ限定で、ほんの少しだけ
高まる鼓動−−−−そのどれもが、オレの眠りを構成する不可欠の要素になっていたことに、離れてみて気が付いた。
そして、一旦気が付いてしまえば、もう無理だった。修兵を求めずにはいられなかった。
後で聞いた話、修兵も修兵で、一人きりの三日間、あまり眠れてはいなかったらしいが、結局、行動を起こしたのはオレの方。
「け、拳西さん……?」
一人では眠れぬ時間を少しでも潰すためか、やたらと難しい鬼道の専門書と寝所を共にしていた修兵に、
「わりぃ……三日前の前言、撤回させてくれ」
修兵の布団に潜り込んだオレは、そう短く詫びてから、修兵の身体を目一杯抱きしめた。
低めの体温、甘い匂い、僅かに早い鼓動−−−三日ぶりのそれが、限りなく愛おしかった。
その翌日は、二人揃って仕事と授業に遅刻−−−それが何よりの証だっただろう。
修兵がそうであるように、オレは、もう修兵なしでは、ろくろく眠ることが叶わなくなっていたのだ。
以来、一度も寝所を隔てることはなく、いつしか『そう言う仲』にもなったオレと修兵は、いつでも一緒に眠っている。
だから今日だって本当は、あんな風に一人で修兵を寝かせたくなんてなかったのだ。
だが、仕方がない。これも仕事だ。
ならば、出来る限り短期間で仕事を終わらせたいが、それには、徹夜をするしかない。だが、それに修兵を付き合わせては、修兵の体を壊して
しまうことになる。そんなわけで薬は苦肉の策だったのだが、本当にごめんな、修兵。

「はぁ……さっさと終わらせるか……」

オレだって、早く修兵を抱いて眠りたいのだ。
一人きりの編集室、その長の机で未だその高さをほこる原稿に、一枚一枚校正の朱墨を入れていく。何かと言えばこれは、白以下隊士達が
構成と入力を終えた原稿の誤字脱字等をチェックする作業だ。この作業が終わりさえすれば、オレのやることはもうほとんどない。オレの朱墨に
したがって実際に原稿を手直しをするのは白達だし、オレがやるべきはせいぜい編集長用のコメントをひねり出すことくらい。
ゴールは見えていると言うことになる。
だが……この文字通りルーティンな作業に、開始から五分でオレは既にうんざりしてしまっていた。
大体、朱を入れなければならない箇所があまりにも多すぎる。
現九番隊は、オレを筆頭に皆、頭よりも筋肉に栄養が行ってる死神の群れ。
隊長のオレからして机上作業が大の苦手と来てるところに、副隊長の白が、恐ろしくこの手の業務が嫌いと来てる。
本来、隊士達の直接の手本となる副隊長がそうなのだから、三席以下、机上業務は常に全滅の一途だ。
元々、副隊長という雑務職が、白の肌に合わないのだろう。
無理もない。副隊長と言えば聞こえはよいが、基本的にその業務はイコール雑務の処理だ。
成果がよく見えないところへもってきて、時間だけはやたらとかかる仕事が、白には駄目らしいのだ。
それに加えて副隊長になってからと言うもの、あいつは『大好きなハッちん』に会える時間が削られてしまっていることに我慢がならないらしい。
「拳西のバーカ!何でアタシが副隊長なのー!!」と、日に一度は必ず叫んでいるが、現状ではどうしようもない。
書類処理能力の壊滅的低さを考慮しても、総合的な能力の順番から言えば、白のヤツが隊士の中で一番なのだ。
白の戦闘力が飛び抜けていると見るべきなのか、他のヤツらが不甲斐ないと見るべきなのか。
そんなわけで「んもー!!早くアタシをヒラ隊士に戻してよー!!!」と、日々衛島達に訴えていた白だが、最近はその相手を修兵に変えたらしい。

「だって、修ちゃん凄いもん!強いし、頭いーし、美人だし、拳西のこと大好きだし!」

−−−−最後の二つは良くわからん理由だが、白の言わんとすることは解る。
五回生の現在まで常に筆頭で有り続けている修兵は、六回生になるのを待たずして既に九番隊への入隊が内定している。
入隊後は、おそらくスムーズに白の地位へと駆け上がってくることだろう。
白は「早く!」と、それを、毎日のように修兵に急かしているのだ。

(修兵が副隊長か……)

そう遠くはない未来で、あいつは、どんな副隊長になっているんだろう。
オレの傍から離れないのは当然として−−−−白のヤツは、しょっちゅう鉢玄の所へ行きやがるからな−−−−、虚の討伐任務だけでなく、
こういう編集業務なんかも、きっとスムーズにこなしちまうんだろう。
あぁ、でも「六車隊長」は勘弁して欲しいな。
修兵には、あんまり他人行儀に呼ばれたくねぇっつぅか。

「……拳西さん」

あぁ、そうそう。そうやって名前で−−−−

「拳西さんっっっ!!」
「……ん?」

妙にリアルな呼び声だ。そう感じられたのも道理。
いつの間に編集室へ入ってきていたのか、実物−−−修兵が、オレの机の前に立っていた。
寝間着の浴衣に裸足という格好は、十一月下旬という今の季節、いかにも寒々しい。家からここまで、この格好で来たのか?
そんなんじゃ寒いだろうに……。案の定、その華奢な肩はふるふると震えている。
だがどうやら、寒くてそうなっているのではないらしい。
これは……明らかに怒っている。
オレがキレるのとも違うし、浦原や真子みてぇに笑顔かまして、腹ん中はブチ切れっていうんでもない。
あー……美人は怒らせると、妙に迫力あるんだなぁ。怒っていてさえ、消しきれない強烈な華があるのだ。
眉尻をちょっとだけ持ち上げて、頬を紅色に染めて。引き結んだ唇は、こんな表情してさえ、蠱惑的に艶めいて。
けれど、幼い頃の修兵を知っているせいか、妙に怖さを感じない。本人は精一杯怒っているのだろうが、オレには可愛いと感じられることばかりだ。
そう思って、知らず笑みを零してしまったのがマズかったらしい。

「……拳西さんの莫迦っ!!」

一声そう叫ぶなりオレの腕に手をかけた修兵が、あらん限りの力で、オレを引っ張った。幾ら細身の修兵でも、それだけ力を込めれば
オレの莫迦でかい身体も動く。
どうやら修兵は、オレをどこかへ連れて行こうとしているらしい。
無理矢理椅子から立たされたことで、机の上に積み上がっていた原稿が、ばさばさと落ちた。
だが、こんな突然の展開に、二日連続徹夜のオレの脳は付いていけず、修兵に抗う気すらも起きなかった。
その僅かなスキに、修兵がオレを連れて行ったのは編集室の隣の隊長執務室。いつものおなじみの場所だ。
修兵が目指していた終着地点は、この部屋のソファ。
鉢玄がしょっちゅうやって来ることを考慮して、特大サイズにしてあるそれに力ずくでオレを座らせた修兵は、オレの肩に手をかけ、膝の上に
のった後、ほんの数秒だけ意識を別の場所へと移した。何だと思う暇もない。次の瞬間、執務室の入口である観音開きの扉の取っ手に、
白い糸状のものが巻き付いていく。
ありゃ確か、三十番台の縛道だ。鬼道というのは基本、番号が若くとも、使い手の能力が高ければその威力を増すもの。
五回生筆頭の修兵も例外ではない。あれはちょっとやそっとじゃ解錠不可だ。
どうやら修兵は、本格的にオレをここへ閉じこめるつもりらしい。
しかし、目的は何だ?
ここまで無言の行を貫く修兵の顔は、やはり怒ったまま。いや、ちょっと……拗ねてる感じもするな。

「修兵……?なぁ、どうかし……っ!?」

途中で閉ざされた言葉。柔らかい唇から香る甘い匂い。
修兵からキスされている−−−その事実に驚く間もなく、いとも自然に舌が入り込んでくる。
一応強引にキスをされているはずなのに、オレが修兵にするそれとは違い、荒々しさは微塵も感じられない。
柔らかく、優しく、けれど深いキス。
時折零れる修兵の吐息に、身体中の力が抜けていく。
誰かにされるキスが、こんなに気持ちいいものだなんて、知らなかった。
これまで生きてきて修兵以外のヤツとこう言う関係になったことはなかったし、修兵に対してだって、いつもこうして直接的な接触を求めるのは
オレからで−−−と言うか、オレが堪えきれねぇからだが−−−修兵が自分からこうしてキスをしてオレを求めてくるのなんて、本当に初めてのこと。
技巧が優れているわけじゃない。どちらかと言えばぎこちない舌の動きは、しかしそれだけに修兵の一生懸命さが伝わってきて、
それがオレにとってはたまらなく快感で。
正直、このまま仕事のことを忘れてしまってもいいと思った。
身体の疲れが限界にきていたこともあり、このまま修兵にキスをされながら、二人でここで眠ってしまってもいいと思った−−−が、
その時何故か頬に落ちてきた熱い滴が、一瞬でオレを我に返らせた。

「修…兵?」

頬が赤いのは解る。はだけた浴衣の裾から伸びる白い足が夜気で冷たくなってしまっているのも解る。
けれど解らないのは−−−何だ……何で泣いてるんだよ、こいつは。
今している行為とは裏腹に、何でそんなに悲しそうな顔をして泣いてるんだよ。
そういえば、そもそもどうしてこいつは起きているんだ?
オレは確かに一服盛ったし、さっきだって修兵が十分に熟睡していることを確かめてきたはず。
冷静に頭を働かせれば、不自然なことだらけだ。
ともかく、こんな状態で修兵とキスを続けるわけにはいかない。例え修兵本人が望んでいたとしてもだ。
力の抜けかけた身体に血液を巡らせ、オレの肩に置かれた修兵の手をまとめて掴んだオレは、もう片方の手を修兵の左頬に当て、
修兵のキスの軌道をほんの少しだけ反らせてやった。
オレの反撃に気付いた修兵が、掴まれた手を振り解こうとしたようだが、もう遅い。

「修兵、な、ちょ、ちょっと待て修兵!」
「んっ……ヤ、です」
「ヤじゃねぇ、いいから待てって」
「っ…・ヤダっ!やめない!」
「莫迦言え!こんな、お前を泣かせたままで……」
「そんなのどうでもいいっ!じっとしててくれないなら、縛道を使ってでも……」
「莫っ迦ヤロ……!」
「ん、ぁ…っ」

鬼道を発動させようとした口をオレの口で塞ぐ。元々開いていた唇から舌をねじ込むことは容易い。
修兵がオレにしたのとは、全く逆の荒々しいキス。わざと息を吸わせぬペースで口内を掻き回せば、修兵の身体から面白いように力が抜けていく。
形勢逆転−−−一旦修兵をソファに抑え込み、オレ自身が体勢を整えてから、改めて修兵を膝の上に抱き上げた。
但し先程とは違い、修兵の上半身はオレの腕ががっちりと押さえ込んでいる。いわゆる抵抗不可の体勢、と言うヤツだ。

「はぁ……あっ、んっ……」

最後に一つ深いキスをした後、修兵の唇を解放すると、ようやく自由な呼吸を許された修兵が、苦しそうに喘いだ。
拭うことも許さなかった涙で、目元が真っ赤に染まっている。
縋るものを求めて、自然オレの死覇装を掴んだ手も、小刻みに震えていた。
さすがにやりすぎたかと、今度は正しい呼吸を助けるために唇を塞いでやる。
修兵の呼吸のリズムなら、オレは誰より理解してる。
絶妙のタイミングで唇の離着を繰り返し、それ以外の場所にも唇を落としてやれば、蕩けたように甘い声と、オレの首にしなだれかかる、
細くて白い腕−−−首元に預けられた頭に頬を寄せると、二度三度と、深い呼吸音が聞こえてきた。
色々な意味で、何とか修兵は落ち着いてくれたらしい。
未だ目元で逗留を続けていた涙を拭ってやってから、修兵を抱く力を緩めたオレは、浴衣の下の冷えた肌をあたためるように
背を撫でながら修兵にこう詫びた。

「修兵……すまない。ちょっと無理させた。大丈夫か……?」
「ん…拳西さ……こんなのずる、い……」
「あぁ、そうだな。けど、あんな風にお前を泣かせたままにはしたくなかったから。その……」
「…………」
「オレの、せいだろ?」
「っ………」
「なぁ、修兵……その、悪かったよ。そりゃそうだよな。勝手に薬盛られて一人で寝かされて、お前が怒るのも……」
「……え?」
「ん?」

何だ?随分きょとんとした顔してるな。………違うのか?
否、そんなはずはないだろう。
修兵と一緒の眠りを望んでおきながら、仕事の都合で、修兵を一人きりにした。しかも薬まで使って。
修兵がオレに対して怒っている理由は、それ以外に考えられない。

「だろ?……違う、のか?」
「違い、ます…よ」
「違う?え、だったらお前があんだけ怒って泣いた理由ってのは……」
「……………」
「修兵……なぁ、もしオレがお前に何かしてしまったんなら、ちゃんと教えてくれ。オレはお前をあんな風に怒らせたり泣かせたり……
そんなことがしたいんじゃないんだ。お前にはいつだって、オレの傍で穏やかに幸せに笑ってて欲しいんだ。お前を二度と同じ理由で
怒らせたり泣かせたりしたくない。だから……頼む、教えてくれ。お前は一体何が……」
「だ、って……」
「うん……」
「拳西さん、が……自分の身体も省みずに無理するから……っ」
「オレが……?」
「そう、ですよ……本当は自分だって、解ってるんでしょう?身体、凄く疲れがたまってるはずです……なのに、今日もほとんど眠ろうと
しないで……お仕事が大切だって言うのは解ります。けれど、それで拳西さんが身体を壊したら何にもならないし、そんな状態でお仕事
したって、ただ悪戯に時間を使うことになるだけです。オレ、それが解るから……」
「解る……?」
「えぇ……」

解るんです−−−−そう言って、オレの頬に手を当てる修兵。
そうしてから「ほら、やっぱり疲れてる……」なんて、まるで当然のことのように言う。
だが、解るというのは、どうやって?
オレはその…・自慢じゃねぇが、そう言うのは顔にも身体にも出ない質。
これまでどんなに忙しい仕事が立て続いても、他人から「疲れてる」と指摘を受けたことは一度もない。
ただ……今になって思い出してみれば、オレが疲れてる時に限って、修兵はよく甘えてきたように思う。
そうだ。普段は聞き分けがよく寝起きもさほど悪くない修兵が、昔から布団の中でむずがったり「まだ眠い」って言ってオレに抱き付いて離れない
時は、必ずオレ自身の身体が疲れていた時だった。

「お前……じゃあ、もしかしてずっと……?」
「……はい。拳西さんは優しいし強いから、オレが『疲れてるから休んで』って言っても、オレに心配かけないように、絶対『大丈夫』って言う気がして
……けど、逆にそれだけ優しい拳西さんだから、オレが甘えて抱っこをせがんで『起きたくない』って言えば、一緒にいてくれるって思って……
実際そうだったし。だから、ずっとずっと、小さい頃からオレ……」
「修兵……そうだったのか。でも、なぁ、どうやって解るんだ?」
「拳西さんのこと、ですか?そんなの……いつも一緒に眠ってるんですよ?朝起きたときの肌の温度や脈の速さ、オレを抱きしめてくれる
腕の力……拳西さんの身体のコンディションは、それで全部解るじゃないですか」
「解るじゃないですか、ってお前……」

いとも簡単に言うが、それがどんだけ凄いことか解ってるのか?
解って……ねぇんだろうな。
あぁ、けど解ってなかったのは、オレも一緒か。
今まで修兵にどれだけ救われてきてたのか−−−ずっと知らずにいたんだもんな。

「それでその……昨日の朝も、起きたときに解ったんです。あ、拳西さん疲れてるって。それも尋常じゃない位疲れてるって。オレが朝、
駄々こねる位じゃ回復しない位疲れてるって……それが解って。それにオレ自身も変だった。なんか、眠ったけれど、眠った気がしないって
いうか、拳西さんが傍にいてくれるときの眠りとどこか違うって言うか。それが今朝も続いて……それで今日の午後、阿近さんに頼んで睡眠を
阻害する効果のある薬をもらって、それを予め飲んでたんです。だからさっき拳西さんが着替えてる時点で、オレはもう意識ははっきりしてて、
その………」
「そうか、それで……」
「はい。こっそり拳西さんの後をつけてきたんです。どうして拳西さんがあんなに疲れることになったのか、その理由を知りたかったから。
そうしたら拳西さん、ここへ来て、お仕事を始めて、でも明らかに無理してるのが解って……それで、最初はオレ怒ってたの。何でそんなにまで
無理するの、どうしてオレにそれを内緒にするのって……」
「うん…・」
「でも……でもね、その後すぐに、今度は凄く……悲しくなって」
「悲しい?オレに、薬を盛られたことがか?」
「ううん。それは感謝してるんです。だって、オレが拳西さんなしでは眠れないって解ってるから、ああしてわざわざ薬を飲ませたんでしょう?
オレが悲しかったのは、オレ自身が、今の拳西さんに何もしてあげられてないって事に気が付いたから。オレは未だちゃんとした死神じゃない
から、拳西さんのお仕事の負担を軽くしてあげられなくて、それどころかいっぱい拳西さんに気を遣わせて……それが凄く悲しくて。ごめんなさい、
って思って。だから、せめてオレに出来ることは、その……」
「あぁして、オレを力ずくででも寝かせること、だったか?」
「うん……だって、いっつも寝る前は拳西さんがキスしてくれて、そうするとオレ、すっごくよく眠れるし……だったら、オレが拳西さんにキスすれば
って……あの、だからオレ……!」
「あぁ、確かにな」
「ふぇ……?」
「本当に眠っちまいそうだった。滅茶苦茶気持ち良かったぜ?お前のキス」
「………っっっっ」

オレの言葉で先程の自分の行為を鮮明に思い出したのか、修兵の全身が一気に朱に染まる。
………そりゃそうだよな。
この修兵と来たら、その手のことにはともかく奥手で、自分から具体的な行動を起こすことはまずない。
それがあれだけ深いキスを仕掛けたのが自分あっては、動揺せずにはいられないのだろう。
けれどそれは、それだけ修兵が必死だったことの証。
オレを想って、オレの身体のことを心配して……だからこそ、あんな手段をとったのだ。
オレだからこそ、修兵は−−−それが解った瞬間、こいつの健気さがたまらなく愛しくなった。
余すことなく真っ赤になった身体の熱ごと、修兵を抱きしめる。

「修兵……」
「あ、け、拳西さん……」
「……お前、マジで……とんでもなく可愛く育ちやがって」
「んっ……」
「なぁ、修兵?その……もう一回、してみねぇ?」
「え?もう一回って……」
「さっきみてぇなキス」
「え………」
「駄目、か?」
「…………もし、そうしたら、今夜はもうお仕事しないでくれますか?」
「あぁ……でも、こんな交換条件は、ちょっと卑怯か?」
「ううん……オレがキスする位で、拳西さんが休んでくれるなら−−−」
「莫迦。『キスする位』なんて、らしくない無理するな。第一、お前のキスは値千金……否、他に代えらねぇよ」
「じゃあ……拳西さん、目、閉じて……」
「あぁ……」

そうして、ゆっくりとオレに触れてきた修兵の唇。
甘く柔らかいそれに導かれた眠りは、大層深いものだった。
ちなみに肝心の仕事は−−−驚くべき事に−−−翌午前中に、僅か1時間も経たずに完了した。
オレが報告したその結果に、修兵が嬉しそうに笑ったことを、今でもよく憶えてる。
そしてその日から、オレは修兵にあることを頼んだ。
それは他でもない、オレの体調管理と−−−学業の邪魔にならない程度にという条件で−−−九番隊の業務管理。
前者はともかく後者は固辞した修兵だったが、どうせ遠くない未来、九番隊に入ることになるのだからというオレの言葉と、白や衛島達の
必死の説得で結局これも引き受けることになった。
「オレなんかで上手くいくかは解りませんよ」なんて言っていたが、任せてみれば結果は明白。
九番隊の書類業務は、その月からはるかにスムーズに進むようになったのだ。
白以下、隊士達は修兵に感謝の日々。
そして、オレも−−−

「修兵……」
「っは、はい……」
「まだ照れてんのか?」
「け、拳西さん……意地悪しないで、下さい……」
「はは、悪い。けど、意地悪ついでに……」
「?」
「あの時みてぇなキス……してくれないか?」

もう、目は閉じてるから−−−そう言い終わるや否や、オレに降ってきた優しいキス。
いつされても甘いそれに誘われ、オレは今日も修兵の膝の上で束の間の休息を得るのだった。







あとがき:一条たってのお願いで始まった「あすぼん様の素敵イラストでお話を創作させて頂こう企画!」
      最初にUPさせて頂いたのは、隊長拳西×院生修兵の物語です。
      このお話の創作にあたっては、あすぼん様のイラストの穏やかな空気感を大切にした……つもり
      だったのですが(汗)
      筆力及ばず、いつも通りに甘い二人に(滝汗)
      あすぼん様!こんなお話で宜しければ、謹呈させて下さいませですっっっ!!





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