■ 変更不可能 ■



聞き慣れた、嫌な音。
見慣れた、紅の色。
感じ慣れた、わずかな熱さ。

けれど、昔とはもう違う。
決して一人じゃないって解っているはずなのに、アイツはまだ−−−−

「……あんの莫迦が」

好んで吸っているはずの煙草が、非道く不味い。
火を点けたばかりだったそれを、水を張ったビーカーの中に投げ入れ、オレは空の試験管を手に取った。


■■■■■■■■■■■■■■


二時間後−−−オレは、九番隊の執務室にいた。

「……どうも」
「………おう」

驚いたような顔で、オレを出迎えたのは、六車隊長だった。
本来オレを出迎えるべきヤツ−−−修兵は、今は不在らしい。
時が時だけに、願ってもないことだ。
修兵に見つかる前に、とっとと用だけ済ませてしまうに越したことはない。
何の用だと尋ねる六車隊長に、オレは持ってきた紙の包みを見せてこう言った。

「これ、届けにきただけっす。風邪薬。気付かれないように、修兵に飲ませてやって下さい」
「は?」
「バレねぇように、無味無臭に仕上げたんで、適当に茶にでも混ぜりゃ、アイツ−−−」
「いや、ちょ、ちょっと待て……!お前、何で……オレはまだ誰にも知らせてねぇってのに」
「……はい?」

何の、事だ?
決して人相の宜しくない顔を、更に強面にして見せたオレに、六車隊長は「わりぃ」と詫びた。

「混乱させたよな。話飛んだから。あー……えっとだな、お前、どうして修兵が倒れたことを知ってる?」
「は?」

倒れた、だって?
あの修兵が?

「もしかして、修兵から連絡が行ってたのか?そうだよな。でなきゃこんなにタイムリーに薬を持ってくるはずが……」
「い、いや、ちょっと……待ってもらっていいっすか?」
「?」
「あーその……修兵のヤツ、倒れたんですか?」
「あぁ、ものの……10分位前か。オレの机に書類を持ってこようと立ち上がった途端に、ゆらっとしてそのまま床にバタン。
まだ熱らしい熱なんかは出てねぇけど、変な咳してるし、身体は震えてるし、なにより自分でろくろく歩けなくてな。とりあえず
ベッドに寝かせてきて、今から4番隊に行こうと思ってたところに、お前が来た、ってわけだ」
「……そうだったんすか」
「で、さっきの質問なんだが……」

何で修兵が倒れたことを知ってる?−−−訝しげな様子で六車隊長がオレに尋ねる。
どうしようかと、ほんの刹那の間だけ迷った。
嘘を付くべきか、真実を告げるべきか。
嘘はお手の物だ。やたらと難しい専門用語並べ立てて、相手を煙に巻くことなんて朝飯前。
だがそれは……結局、相手による。
この男、六車拳西になら−−−話すべきなのだろう。
だから、オレは簡潔にこう答えた。

「倒れたことを知ってたワケじゃない……ただ、いつものことだからここに来たんすよ」
「いつもの、こと」
「えぇ」
「それは……それ以上の説明を求めても構わないことか?」
「えぇ。アンタになら話しますよ。煙草……いいっすか?」
「あぁ。灰皿はそこにある」
「ども……」

重厚な硝子の灰皿を手元に引き寄せ、愛用の煙草に火を点ける。
くすんだ匂いと、一瞬だけ煙る視界の中、自作の薬を六車隊長に手渡してから、オレは口を開いた。

「昔から、いつものことなんですよ。アイツ、自分の体に何があっても、絶対他人に言わないし甘えないんす」

思い出す−−−初めて修兵に会ったのは、霊術院の生徒達に行う定期検診の場だった。
年に一回のその場に、新入生だったアイツはいた。
オレは既にその頃技局で働いていて、霊術院の生徒の健康管理は仕事の一つだった。
毎年決まった、退屈なルーティンワーク。
だがそのルーティンの中に収めきれないヤツに、ある年オレは出会った。
それが、修兵だった。

「もうね、あの頃からアイツはキレーでしたよ……」

同じ年代の子供とは、明らかに一線を画す少年−−−端っから、アイツは目を引く存在だった。
オレが言うのも何だが、全然ガキらしくないガキだった。
気になったのは、誰がどうしても埋めることが出来ないであろう事が解る、圧倒的な孤独感。
見目が良いせいか、余計にその孤独感は際立って見えた。
極の美しさとは、こう言うものかと思った程に、修兵は修兵自身で完結した美しさを持っていたのである。

「だからね、余計驚いたんですよ」

服の下に隠れていた、無数の痣と傷。
仕事として割り当てられた検診対象という、非常に小さな縁からアイツの身体を見たオレは心中驚いた。
今こうして、自分の前に立って、平然と検診を受けていることなんて、絶対不可能のはずの身体。
不覚にも、ごくりと喉を慣らしたオレに、賢いアイツは先手を打ってきた。

『……余計なこと、カルテに書かないで下さいよ』

こうやって今思い出してみても、未だに信じられない。
周囲の新入生が、年相応に騒いでいる中、アイツの第一声はそれだったのだ。
ただの鍛錬の痕に過ぎないから、この程度の痣や傷は、一切不問に処せと、そう言ったのだ。
黒い切れ長の、形だけはまだ少し幼さを残した瞳は、真っ直ぐにオレを見据えていた。
オレは一瞬で、その強い瞳に呑まれた。

『………だったら、あとで技局へ来い。正統派じゃない治療で良いなら、いくらでもしてやる』

そんな台詞が、無意識に口から滑り出たのは、多分、その時もう修兵に惚れていたからなのだろう。
戦わずして、オレは修兵に白旗を見せるしかなかったのだ。
それから、オレと修兵の奇妙な関係は始まった。
修兵に限って12番隊は4番隊となり、オレはアイツの専属医のようなものになっていた。
修兵が身体を診せるのは、オレだけだった。
アイツの右眼の傷を診たのも、このオレだ。
ただやっかいなことにアイツは、診せろと言われて初めて診せる。
診せろと言わなければ、決して診せない。
自分から身体の異常を訴えて、オレに助けを求めることは、これまでただの一度としてなかった。

「けど……オレも研究者の端くれっすからね。解るんですよ、アイツの身体の状態くらい」

だから、少しでも異常に気付けば、無理矢理アイツを技局に引きずり込んだ。
適当に仕事を手伝わせるふりをして、さりげなく体の状態を確認して、それから大概、一服盛った。
茶に混ぜ、菓子に混ぜ、飯に混ぜ、酒に混ぜ……修兵自身に気付かれないように、オレは自作の薬を飲ませていた。
ずっと、ずっと………

「−−−で、今日のことなんですけどね。アイツ、午前中にオレのところに来たんですよ。用件はただの届け物だったんすけど、
一回だけ、変な咳しやがって……気になって首もと見たら嫌な紅色してるし、さりげなく触ってみりゃ、肌はいつもより熱いし。
あぁ、こりゃ風邪だなって。けど、いつものようにアイツはそんなことおくびにもださねぇから……」
「それで、この薬を……?」
「えぇ」
「そう、だったのか……わりぃ、迷惑かけて」
「迷惑じゃねぇっすよ。相手、修兵ですから。ただ、さっきまで、ちょっと腹立ってました」
「?」
「昔とは、もう違うのにって……あの莫迦、誰よりそれが解ってるはずなのに、って」

独りだった過去。
一人じゃない、けれど、ずっと独りだった昔。
だからこそ、自分から弱さをさらけ出すことの出来なかった孤高の魂。
オレでさえ、修兵の孤独は埋めてやれなかった。
この人の代わりには、なってやれなかった。
だが、もう代わりなんていらないのだ。
弱さを見せて甘えることの出来る腕は、確かにあいつの前にあるのだ。
なのに……まだ、一人で耐えようとしている。そう思った。

「けど今、……あんたの口から、修兵が倒れたって聞いて……不覚にも、嬉しくてね」

まだ、言葉にすることまでは出来ない。
口に出して、助けを求めることは出来ていない。
けれど、身体で喋ることが出来るようになったのだ。
素直に、身体が発する声を、そのまま見せることが出来るようになったのだ。
それが、今はただただ嬉しかった。

「ま、親莫迦みたいなモンっすよ」
「…………」
「そーいうわけで、倒れる前には間に合いませんでしたけど、今からでも遅くはないんで、これ、飲ませてやって下さい。
あんたが相手だと、苦いのはヤダとか、子供みたいな駄々こねるかもしれないですけど、アイツの風邪はこじらせたらやっかいなんで」
「………それは」
「は?」
「それは、オレがして良い事じゃねぇよ。これはお前に返すから、お前が修兵に飲ませてやってくれ」
「六車、隊長……?」
「オレはこれから家に修兵の着替えを取りに行ってくる。ついでに4番隊で氷枕やら何やら借りてくるわ。だから、修兵を
診てやってくれ。そいつはオレの専門じゃない」
「…………」
「技局でもエリートのお前だ。オレの言いたいことは分かるよな」
「えぇ、ま……なん、と言うか………感謝、しますよ」
「それは、お互い様さ」
「えぇ……あぁ、えぇ、そうですね」
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「お気を付けて」

返された薬を軽く握り、白い羽織の背を目で送る。
六車隊長は、いつも修兵がからむと周囲に見せる全速力の瞬歩ではなく、普通に歩いて、執務室を出て行った。
出来る限り時間をくれる、と言うことなのだろう。

「さて、と」

折角もらった時間だ。修兵の身体も心配だし、早いところ薬を飲ませなければ。
六車隊長は「ベッドで寝ている」と行っていたから、修兵はおそらく、地下の隠し部屋にいるのだろう。
事実、そこへ通じる階段が、床で大きな口を開けている。
煙草を消してから、迷わず階段を降り始めたオレは、9番隊隊長のみが代々知っているという隠し部屋へ。
10畳ほどの部屋の中、すぐに巨大なベッドで眠っている修兵の姿が目に入る。
いつもと症状が同じならば、気になるのはその喉だ。

「……大分悪いな」

ベッドに近付き腰を下ろし、相手を起こさぬように注意を払いながら触れた喉が、それと解るほどに腫れている。
それがどうしても気になってしまい、もう少しだけと触診を続けたが、それが修兵の眠りを妨げてしまったらしい。
ぴく、と身体が揺れたと思ったら、ケホケホと乾いた咳をして、修兵はゆっくりと目を開けた。

「あ、こんさん……」
「……よぉ」

絶対に六車隊長の名だと思っていた第一声は、意外にもオレを呼ぶものだった。
ただの偶然だと喜色を隠しながら、オレはつとめて冷静に言葉を続ける。

「気分は……良いはずがねぇか」
「うん……」
「薬飲めるか?」
「うん……」
「じゃ、今すぐにでも飲んだ方が良いな。でなきゃ、これから一層辛い」
「うん……ねぇ、阿近さん……」
「ん?」
「ありがとう……」
「っ……な、んだよ、いきなり。オレはお前の専属医だぜ?礼なんていらねぇよ。それに、とんだ藪医者だし……っ」

な、んだ?
突然の、熱。
首が、頬が、胸が、腕が、熱い。
こいつ、具合が悪い癖に、なんて運動神経してるんだよ。
健康なはずのオレが、何にも反応できないじゃねぇか、情けねぇ。

「阿近さん……阿近さん……!」
「ん、だよ……」
「ありがと……ずっと、ずっと………」
「………冷てぇよ」

こんなに身体は熱いくせに、何で涙は冷たいんだろうな。
いや、相対的に低いだけで、涙もやっぱり熱いのか。
っていうか、良いのかよ?ここじゃねぇだろ、お前の場所は。
いや、それよりも今は……

「修兵、いつから気付いてた……」
「わ、かんない……でも、オレっ、ずっとずっと、あ、阿近さんに甘えてた」
「オレに…?」
「う、んっ……何も言わなくても、全部解ってくれてる阿近さんに、オレ、ずっと…ずっと甘えてた」
「あぁ……」

そーいうことかよ。
単純すぎて、あからさますぎて、オレ自身が掴み損なっていた最上解。
何も言わないことで、こいつはオレに甘えてた。
ずっとずっと、オレにだけは、甘えてくれてた。
それは六車隊長にするのとは、全く真逆の甘え方。
けれど、何だよ……すっげぇ嬉しいじゃねぇかよ、この莫迦。

「なら……」
「……?」
「お前はこれからも、何も言うな」
「阿近さん……?」
「そうやって、オレに甘えろ」

ずっとずっと……オレとお前は、それでいい。
肝心なことは、言葉に出さないで、それでも通じ合ってるからそれでいい。

「阿近さん……」
「薬、飲まねぇとな」
「うん」
「でも……もう少し、こうしてるか」
「うん……ね、阿近さん」
「どうした?」
「あの、ね……お薬、苦い?」
「…………甘ぇよ」

陳腐な表現だが、お前みたいにな、修兵。






あとがき:はい。うちの阿近さんは紳士です(ゑ)
      拳西さんがいない間、一番深く修兵を見守っていたのが阿近さんです。
      こう、拳西さんと修兵が、正面からぎゅーっと抱き合うイメージならば
      阿近さんと修兵は、背中をぺたんとくっつけて座っている、と言うイメージ。
      で、修兵さんの方が、阿近さんにより多く体重を預けてます。寄っかかってます。
      拳西さんはですね、自分がいない間、修兵を守ってくれていた阿近さんに実は
      とてもとても感謝しています。だから、自分が戻ってきたからと言って、修兵と阿近さんが
      これまで築いてきた関係性を変えて欲しいとは、全く思わないわけです。
      それは自分と修兵の関係と、阿近さんと修兵の関係は全く質が違うし、けれど共存が
      可能なものだと解ってるからなんですね。だから、実はこの3人、仲良しさんです。
      この3人、書いていて面白いので、今度は修兵が健康なとき(笑)の3人のお話を
      書いてみたいなーと思います★



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