■ 納得と葛藤の午後 ■
祝日の午後―――ランチセット目当てのお客さんもいなくなり、夜からのバーの営業にそなえて、そろそろ喫茶店を店じまいしようと
していた時のこと。
乾いたドアベルの音と共に聞こえた久しぶりにの声が「こんちわー、マスターいるー?」と私を呼んだ。
「やぁ、一護君」と返した私に、「久しぶりっす」と笑う少年は、1ヶ月前と比べると、少し大人びたように見える。
この頃はやはり成長期だなぁと、しばし己の昔を懐かしんだ私は「ごめん、そろそろ終わりだよね?」と言う一護君に、
いやいやと手を振って見せた。
「君は例外だよ。お父さん……一心は、元気かい?」
「元気っす。元気すぎてちょっと困ってるくらい」
「一心は昔からあぁだからねぇ。ははぁ、さては今日も一心とバトルして、昼食を食いはぐれたんだな?ちょっと待ってなさい、
今ピラフでも作ろう」
「えっ、あぁ、大丈夫だよマスター。ごめん、昼飯はちゃんと食べたんだ。今日はさ、ちょっとお願いがあって」
「お願い?」
「そう。実は……おい、入ってこいよ」
「ん?」
どうやら、一護君にはお連れさんがいたらしい。
昔からのおなじみさんの女の子だろうか。それとも高校の友人か?あるいは……ここ数ヶ月の間、よく連れてきていた年上の―――?
「ほら、んなとこにいたんじゃ仕方ねーだろうが、拳西」
おや、私の予想はどれも違っていたらしい。
一護君の背後から店に入ってきたのは、初めて見る男性客だった。
銀色の短髪に鳶色の目。その双眸は持ち主の強き意思を宿している。
一心と同じかあるいはそれ以上の立派な体格は、まるで誰かを守るためにあるようだ。
年は……一護君が連れてきていた年上の美人さんよりもさらに上に思える。
一般的な第一印象としては「怖い」とか「近寄りがたい」になるだろうか。
だが、その単純な印象を裏切るように、「拳西」と呼ばれた男性は、「はじめまして」と言った私に向かい深々と頭を下げた。
「はじめまして。六車拳西と言います。突然押しかけて申し訳ない。それに、修兵がいつもお世話になって……」
「修兵君?それは……檜佐木、修兵君のことかい?」
「はい。修兵から聞いています。こちらでとても良くしてもらっていると……あいつ、本当にこの店が好きみたいで」
「そうかい……それは嬉しいね」
ここ数ヶ月、一護君が良く連れてきていた年上の美人―――檜佐木修兵君。
「知り合いの大学院生なんだよ」と、一護君はまるで、自分の宝物を自慢するように紹介してくれたっけ。
以来、修兵君は、二週間に一度くらいの割合でここにやってきている。
必ず決まってホットケーキとガムシロップ3倍のアイスカフェオレを頼む子で、ホットケーキを頬張る時、急に幼くなる雰囲気が印象的な子だ。
その修兵君の知り合いか……修兵君よりも年上に見えるから、彼の先輩だろうか。
そう尋ねた私に、「えぇ、まぁ」と肯いた彼は、しかしもう一つだけ重要な情報を付け加えてくれた。
「修兵は、オレの恋人なんです」
「ははぁ、そうだったのかい」
それは、一護君にとってはかなり………
そう思ってちらりと横を見れば―――やはり予想通り――― 一護君はきわめて不本意そうに顔を歪めていた。
無理もないだろう。私の目に狂いがなければ、一護君は修兵君に惚れている。
これは多分、根拠のない妄想などではない。
年齢の割に所作に落ち着きがある一護君が、修兵君の前だと奇妙に落ち着かない。
カレーやピラフを掬うスプーンを、修兵君の前で何回落っことしたことだろう。食事のペースも妙に速い。
修兵君以外の友人とここを訪れた時だと飲み物は1杯で足りるのに、修兵君と一緒の時には最高5杯のコーラを空にした。
あぁ、一護君は修兵君のことが好きなんだなと、ふとした拍子にそう思った。
しかし、あれほど美人で気だての良い修兵君だ。男女問わず、周囲が放っておくはずがない。
だがそう思いつつ、一方そんなライバル達を蹴散らして一護君の想いが叶えばよいが、なんて思っていたのだが……。
そうか、失恋してしまったのか。
「残念だったね」と慰めたくもあったが、「恋人さん」の前でそれは拙いだろう。
あぁ、そういえばこの「恋人さん」のご用件は何なのだろうか。
素朴に浮かんだ疑問を、声にのせる。
「六車君、だったね。それで今日は……?」
「あぁ。実はその……ホットケーキの作り方を教えてもらえないかと思いまして」
「ん?」
「いやその……唐突で申し訳ない。つい数日前のことなんですが、修兵が不意にホットケーキが食べたいって言いまして。いつもオレ達の
食事はあいつが作ってくれているんで、たまにはオレが……作ってやりたくて」
「それで……」
「えぇ。修兵が一番好きなホットケーキなんだそうです、ここの……えっと、バニラの匂いがするホットケーキ」
「バニラフレーバーホットケーキのスペシャルだね」
初めてここに来たとき、数種類あるうちのホットケーキを食べ比べ―――あの細い身体で良くあれだけの量を完食できたと思う―――これが
一番好きだと言った修兵君。
いつも美味しそうにホットケーキを頬張ってくれるその姿を思い出し、私は自然と笑顔になった。
それにしても、本当に修兵君が大事なんだな、この「恋人さん」は。
普通ならここへ連れてきて、好物を食べさせてあげるのがせいぜい。
ところがこの「恋人さん」は、それを自分で作りたいのだという。
「すみません、一種の営業妨害みたいなお願いで」と申し訳なさそうに彼は言ったが、私は「いやいや」と首を即座に振った。
「こんな営業妨害なら、大歓迎だよ。これから夕方まで休憩時間だから丁度良い。うちのホットケーキの味を存分に学んでいって、修兵君に
作ってあげると良い」
「ありがとうございます」
「ええっと、ちなみに君、料理は……」
「苦手ではありません。修兵に食事を作ってもらうようになるまでは、自炊してましたから。ただ、ホットケーキは作ったことが無くて……」
「そうかいそうかい。大丈夫。料理の経験があるなら、きっと上達も早いよ」
誠実そうな「恋人さん」の人柄と、そんな「恋人さん」の元で幸せに笑っているであろう修兵君を思えば、知らず私も笑顔になる。
カウンターの中に「恋人さん」を呼び寄せ、使い慣れた器具一式を揃えると、私は早速、材料の分量とその混ぜ方の説明を実践付きで始めた。
途中、いくつかの質問を差し挟んだ「恋人さん」だが、メモは取っていない。どうやらこの「恋人さん」も修兵君と同様、かなり頭が良いのだろう。
以前、コーヒーの入れ方を修兵君に教えてあげたとき、彼も全くメモは取らず終いだった。
カウンター席に座った一護君に何気なくそれを訪ねると、「まぁね」と短い一言。
おやおや、この様子だと、一護君はまだ修兵君を諦めていないらしい。
心なしかぶすっと頬を膨らましている彼に、私は穏やかに尋ねた。
「一護君、何か飲むかい?」
「あ、うん。じゃあ……コーラ」
「はいはい。少し待っててね」
手際よく材料を混ぜ合わせる「恋人さん」に次の指示を出しながら、冷凍庫から氷を取り出す。
立方体に固まった透明な固まりをグラスに落とした私は、冷蔵庫でよく冷えたコーラをその上から注いだ。いつもならこれにライムを搾り、
ストローをさして完成だが………
「はい、おまちどうさま」
「ども……ん?あれ?ねぇ、マスター、オレが頼んだのって……」
「あぁ、そうなんだけど。まぁ……いいじゃないか。サービスだよ、サービス」
「え、そうなの?ありがと。いただきます」
「ゆっくり召し上がれ」
「クリームコーラって言うのかな、これ?」と言いながら、早速スプーンでアイスを掬いだした一護君。
正直なところ、私は彼を慰めたいのか、それとも………
(まぁ、チャンスがないわけではないからなぁ……)
間もなく一枚目のホットケーキを焼き上げる修兵君の「恋人さん」と一護君を交互に見、だが、私は少しの間途方に暮れた。
<あとがき>
料理が趣味の拳修。
相手の好きな物は、買うんじゃなくて作ってあげたいという発想が自然に生まれる2人です。
元々は、拳西vs一護が書きたくて、作り始めた話だったのですが、色々伏線入れこみたくなって、こうなりました。伏線って言うのは、
もちろん修兵がこのお店に珈琲の入れ方を教わりに来たっていう点です。
珈琲好きの拳西さんが復帰してから、どうにかして美味しい珈琲を自分で入れたくなったんですね。それで、拳西さんと再会する前から
一護に連れてきてもらっていたこの店のマスターにお願いをしました。
このお店のマスターは一心と高校時代の同級生という設定になってます。
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