■ 仔猫と科学者の駆引 ■





十二番隊に併置されている技術開発局、通称技局の部屋はどこもかしこも危険物が溢れていることで有名だった。
所属している局員の個性や専門性は多々あれど、まるで判を押したかのように、部屋の乱雑さだけは揃いとなっている。

そしてそれはここ、副局長の阿近の部屋とて同じであった。
扉以外の壁は全てが棚。
おかげで元々広いはずのここには、狭い部屋特有の圧迫感が生まれている。
阿近には心地良い空間らしいが、閉所恐怖症の人間にはさぞつらい場所だろう。

ガラスの引き戸付きの棚の中に並ぶのは、無数の本に資料にビーカーに試験官。
本や資料はまだタイトルに手がかりがあるが、数多の実験器具の中身は阿近にしか解らない。
否、阿近自身もそれらのいくつかはもう記憶の彼方。

危険物でないものを探す方が難しいとの噂は、どうやら極めて真実味が高そうだ。
それでも普段なら、部屋の安全性などほとんど気にかけない阿近、しかし今日ばかりはそれも別であった。

「にゅぁあうー」
「ん?……うわ!またか!頼むからそこでじっとしててくれ、修兵……!」
「なーぅー?」
「そうそう……じっとしてろ、いいか、じっとだぞ?」
「にゃー……にゃぁぁああああ」
「…………あぁ、やっぱり無理か」
「にゅあー……」
「まぁ、懐いてくれないよりは全然良いんだけどよ……」

白衣の裾をくいくいと引っ張る小さな生き物に、ふぅと苦笑する阿近。
その阿近を見上げて「にゃ?」と首を傾げたのは、猫の耳と尻尾が生えた小さな姿の九番隊副隊長。
技局以外の全隊が半日あまりの隊首会ということで、朝一番で拳西から預けられたのである。
九番隊にいるときとは少し異なり、ちりちりと可愛らしい音のする鈴のついた絹のバンドを首に巻いた修兵は、
阿近の風貌に怯えることなくご機嫌で鳴いている。
瞳の色に合わせた紫のバンドは、白い肌に映えてとても可愛い。
外出時だから拳西がおめかしさせたのかと思いきや、そんな洒落た目的のものではないらしい。

『良いか、一瞬たりと目を離すなよ!万が一……もし万が一にも目を離して億が一にも修兵を見失っちまったら、この鈴の音を
手がかりに一秒で探せ!それが約束できないようじゃ、危なくてお前の所に今の修兵を預けてはおけん……!!』

なるほど、保育所が阿近の部屋ならではの拳西の懊悩である。
狭い部屋と言えど、それは大人を基準にしてのこと。
身体の小さな今の修兵には、ここはかくれんぼにうってつけの場所。
積み上げられた書類の塔の間、何だか良くわからない機器の裏、薬品瓶をごっちゃに詰め込んだ段ボールの中など、そこかしこに
小さな隙間が存在しているのだ。

阿近もそれは重々解っている。半日丸々修兵にかかりっきりになるべく、今日の午前中分の仕事は既に昨晩終わらせておいた位だ。
ところが、その合間に修兵用に作っておいた玩具を、うっかりどこかにしまい込んでしまったらしい。
阿近はさっきからずっとそれを探しているのである。
そこで、仕事用に使っている椅子―――阿近の認識の中ではそこが一番安全なのだ―――に修兵を座らせておいたのだが……
探し物をして狭い部屋をうろうろと彷徨う阿近の後を、仔猫は軌跡もそのままに付いて来てしまう。
それでも姿が見えている事を考えれば幸いなのだろう。
怖がられて狭い場所に逃げ込まれるよりは余程良い。
けれど、いつ危ないものと接触するとも限らないのだ。
そして万が一にもそうなれば、技局が卍解した断地風によって崩壊することは間違いない。

だから自分の椅子に座っててくれと、何度も修兵を椅子に戻すのだが、数秒も経たぬうちに、仔猫はちょこちょこと床を歩いているのである。

「ふぅ……やれやれ。普段のお前は、もちっと聞き分けが良いんだけどなぁ……」
「にゃぁ……?にゅー……ぅ」
「ん?あぁ、怒ったんじゃねぇよ。ただ……ちょっとじっとしててくれ。六車隊長の断地風は、半端ねぇって評判だから」
「うにゃ」
「よし、良い子だな。じゃあ、椅子に戻るぞ?………ん?あぁ、なんだこんな所にあったのか」

小さな修兵を抱き上げようと少し腰をかがめた目線の先、今日の午後から片付ける予定の仕事の山の中に探し物はあった。
どうやら昨晩それを仕分けておいたときに、一緒に修兵の玩具まで仕分けてしまっていたらしい。
やっと見つけたそれを、書類の間から慎重に発掘した阿近は、「ほーら、どうだ?こういうの好きか?」と言って、足下の修兵に
手に持ったものを見せた。

「にゃん?」

大きな猫目が、ぱちぱちと忙しなく瞬く。その目の前にあったのは、電動で動く猫じゃらし。
手元のスイッチを押しっぱなしにすれば、ランダムな動きで先端のふわふわした部分が揺れる阿近特製のものだ。
試しに動かしてやると、早くも修兵の片手が動いた。目の前でゆらゆらと揺れる猫じゃらしが、本能的に気に入ったらしい。

「よーし、お気に召したな。じゃ、ここじゃなくてあっちで遊ぶぞ」
「にゃーぁ」

遊んでもらえることが解ったのか、修兵が少し高い声で鳴く。
元々修兵のことが好きな阿近だから、この反応は素直に嬉しい。
先ほどまで修兵を座らせていた仕事椅子に腰を下ろすと、ちょこちょこと後を付いてきていた修兵を膝の上に抱き上げた。

「にぁぅー……」

拳西の大きな膝の上が巣穴の仔猫だが、日番谷や一護、真子達の膝の上も経験済み。狭めの膝にも違和感なくすとんと腰を
下ろしてくれる。ただ、バランス感覚は猫よりも子どものそれが強いらしく、向かい合った頭が早速仰け反りかけていた。

「んー………んにゃっ!?」
「うお……っと、あぶね……」
「にゃぅー」

思わず修兵を抱き寄せることになった阿近。技局員の細い身体でも、今の修兵なら全身を包むように抱ける。真の守護者は
他にいると解っていても、右手に触れる尻尾や首のあたりでぴこぴこと動く猫耳に、普段は冷静沈着な阿近の胸も思わず高鳴った。

一方、くるむように抱っこされることが大好きな修兵はご満悦。もっともっととせがむように、阿近の腕の中に潜り込んでいく。
そうなれば、2人の密着度は更に高まり、修兵の身体はすっかり阿近の中に隠れてしまった。

「……お前、あったけぇのな」
「にゃー」

他愛もないことを口にするのは、自身を落ち着かせるためだ。
既に鳴き声が振動となって肌に伝わる距離に修兵がいる。
多分これ以上こうしていたら、本当に手放せなくなってしまう。
そして、やっと掴んだ真実の幸せから、修兵を遠ざけることになってしまう。

「修……こうしてたら、遊んで、やれねぇ、よ……」

そう言って、なんとか修兵を腕の中から引っ張り出す。
阿近にしてみれば、断腸の思いの末の行動だったのだが、修兵は阿近に嫌われたと思ったらしい。

掴んでいた白衣の一端をぱたりと手放すと、途端に耳が伏せられ、今まで元気に揺れていた尻尾も沈黙。
「にぁー……」と悲しい一声をあげたと思ったら、大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「え……ぁ?」

拳西が相手ならともかく、自分が体を離しただけでこんな反応を返されるとは思わず、阿近の思考力は数秒停止。
その隙に阿近の膝から飛び降りた修兵は、瞬く間に机の奥にあった小さな隙間へと潜り込んでしまった。

「修兵……!?」

慌てて机の下を覗いた阿近だが、修兵は既に雑多な実験器具の中。
どれも未使用なのは幸いだが、ほとんどが硝子で出来たそれらが割れれば、修兵が怪我をしてしまうことは間違いない。
そして自分が下手に手を伸ばして修兵が暴れるようなことになれば、その確率はぐんと高くなるのだ。

だがそれ以上に阿近にとって気がかりなのは、修兵の涙が止まらないことだった。
こちらに背を向けているからその表情までは解らない。だが、しゃくり上げるような鳴き声と目を擦っているような腕の動きを
見れば、修兵の涙が未だこぼれ続けていることは明白。

(くそ……オレとしたことがミスった)

クールビューティな副隊長の表情の裏に、誰より甘えたな幼い一面を修兵が持っていることは、自分が一番わかっていたはず。
修兵をこの姿に変えてやったのも、幼いころの修兵を思う存分拳西に甘えさせてやりたかったからだ。

けれど、幸か不幸かこの姿の修兵は拳西以外にも素直に甘えたがる。もちろんそれも計算に入れていたはずだった。
ただ計算外だったのは、この姿の修兵と接したとき、自分までもがその気持ちを抑えきれなくなることだった。

つまり―――簡単に言えば、阿近は動揺したのだ。
自分に目一杯甘えてくれる修兵へ、ともすれば愛を告げそうになっていた自分に。
だから……決して泣かせたいわけじゃなかったのに。

「修兵……修兵、な、良い子だからそこから出てきてくれ」

こんな小さな修兵を泣かせているのは辛い。
だが、自分を呼ぶ声の中に、どこか遠慮がちなものを感じ取っているのか、修兵は丸まって泣くばかりだ。何度そうしても事態に
進展は見られず、リスクを覚悟で机の下に身体を入れた阿近は、力無く伏せられた耳と共に修兵の黒髪にそっと手を置いた。

「っ……にゃ」
「修……」

やっとの事で振り向いてくれたその顔は、やはり涙で濡れていた。
力の加減も解らず肌を擦ったせいか、目の周囲は真っ赤になっている。
それでも、杞憂したような暴れっぷりは見せず、修兵はむしろ力無い声でひくんとしゃくり上げた。
頭に置いた手の親指だけ動かして、猫耳の後を緩く撫でてやると「にゃぅ……」と一声。

「修兵、すまん……お前が嫌いなんじゃないから。な?」
「にゃー……」
「仲直りしよう。お前が好きなだけ抱っこしてやるから」
「にゅぁ……」
「あぁ、オレもお前を抱っこしてぇんだ。だから……来てくれ、頼む」
「みゃぁー……ぁ」

先ほど離された手が、再び白衣を掴む。
少し弱々しいその力をサポートするように、阿近自らぐいと修兵を引き寄せると、先ほどと同じくらい、修兵の体温が近くなった。
そのまま自分の身体ごと机の下から脱出し、床の上であぐらを掻く。

普段動かす体のパーツと言ったら指先と頭だけという阿近にとって、この一連の動作でも結構な重労働。後頭部を机の角に
預けて天を仰いだ阿近は、こっそりと息を整えてから修兵を見た。

すると思いがけず、大きな瞳と目が合う。

「………でーっけぇ目だな」
「にゅー……ぅ」

どうやら仔猫の涙は止まったらしい。それぞれの目の下にそっと手を添えてやると、阿近のひんやりとした肌がお気に召したのか、
修兵の尻尾が大きくゆっくりと揺れた。頬を軽く揉んだりしてやると、時折目を瞬きながら、「にゃーぁ」と甘えた声で鳴いてくれる。
まだ目の周囲の赤さは気になるが、仲直りは無事に完了できたらしい。

「よし、じゃあ今度こそ遊ぶか」と、椅子に戻るべく一度立ち上がった阿近、ところがまだ修兵は抱っこの量が不足だったらしい。
阿近が椅子に座るやいなや、胸元の白衣をわしゃわしゃと引き寄せ、まるで巣のようなスペースを作ったかと思ったら、
瞬く間にその中に身体を潜り込ませてしまった。

「修兵?」
「みゃー……」

呆気にとられる阿近に修兵はご満悦。その意図に気付いた阿近が「しょうがねぇなぁ」と頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を閉じた
修兵は、しばらくしてすやすやと寝息を立て始めた。

「おーい、遊ぶのはどうすんだよ?」と声をかけてみるも、一度寝付いた小さな猫は、自分の中で丸まるばかりだ。

「………ま、ちょーど良いか」

実のところ、未だ心拍数が落ち着かないこの状況。
あとどれくらいで平常に戻れるのか、見当もつかない。
ただ幸いなのは、仔猫の眠りがとても深いものだということ。

「ちゃんと聞いて、夢ってことにしてくれよ………?」

ぽつりとそう呟いて、自ら修兵との距離を近くする。
そうしてしばらくの間、仔猫の耳に届いた子守唄。
それは、聞くも非科学的な、科学者の愛の言葉。




<あとがき>
拳西さん復帰後、副隊長修兵を仔修→仔猫修へと変えた張本人(笑)阿近さん。
譲渡不可能の設定のお話です。
既に修兵を元に戻すお薬は出来ているのですが、まだまだ出しませんよ、この科学者(笑)
100年以上溜め込んだ甘えたは、ちょっとやそっとじゃ無くならないのです。
一方、拳西が100年以上溜め込んだ甘やかし欲も同じ。
まだ本編では書いてませんが、阿近が修兵を元に戻すのは修兵が「大きくなりたい」って言ったときになります。
けれど、それからもちょくちょく仔修にしちゃいまーすよー(笑)
猫仔修は、ひっつんとのお話も書きましたが、そのうち浦原さんとのお話も書く予定★




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