■ 回顧の絡繰 ■



檜佐木が泣いているところを見るのは、初めてだ。
元護廷十三隊七番隊隊長、そして、現総隊長側近である狛村左陣はそう思った
青空が穏やかに広がる秋日、場所は、九番隊の隊首室。
綺麗に片付けられた室内、そこにある応接ソファに、銀髪の隊長が黒髪の副隊長を抱き上げて座っている。
前者は先日、九番隊隊長に復帰した六車拳西、そして後者は言わずとしれたその恋人、檜佐木修兵である。


「ん。修兵、客だ……解るか?」

狛村の存在をちらりと目で確かめながら、拳西が修兵に呼びかける、
拳西の膝の上に横向きで抱かれ、手を握られ、髪を梳いてもらいながら、優しい言葉を与えられる修兵―――少し情報を選り抜いて今の二人を描写するなら、それはきわめてほのぼのとした好ましいもの。
事実、狛村の目の前にあった光景は、一見、愛し合う二人が限りなく近くに身を添わせ、お互いに甘い睦言を囁き合っているようなそれ。
だが、拳西と修兵の表情は、いずれもそのように甘やかなものではなかった。
拳西は悲痛に顔を歪め、修兵はその綺麗な紫黒瞳から涙を零している。
平時は、美人で有能な副隊長と評判の高い修兵。
実際、狛村が接してきた修兵は、評判通りの人物で、これまでの長いつきあいの中で、修兵が泣いているところなど見たことがない。
否、それこそ、今拳西がしているような、悲痛な表情は見たことがあった。
寂しそうに笑む姿も、幾度か見たことがある。だが……

「………すまぬ、出直して参ろう」

部屋の前でおとないを請うた際、扉の向こうから聞こえてきた声に、取込み中との空気はなかった。
だが、今の修兵をのんびり眺めていて良いほど、場の空気は軽くない。
拳西と修兵が喧嘩をして拳西が修兵を泣かせた。
今は仲直りの真っ最中なのだろう。
そんな選択肢が頭の中に浮かんでこないくらい、修兵を取り巻く寂寞は非道い。

否、そもそもこの二人が喧嘩をする、などという選択肢がないのだ。
百年以上お互いを求め合ってきた拳西と修兵が、再会を果たしてまだ二月強。
両者の想い
の強さを反映するかのごとく、蜜月は果てがないと聞いている。
それはともかく、第三者が気軽に身を置いて良い状況でないことだけは解る。
だからこそ、出直そうと告げた狛村だったが、不思議なことに拳西がそれを静止する。

「いや、いてやってくれ。これは……アンタも無関係な事じゃない」
「うむ?」
「……解るだろ」
「………まさか、東仙、か」

その名を口にするのは、まだ辛い。

修兵は耳にするのも辛かったようで、「ひぅ、っ」としゃくり上げるように喉を鳴らして、また一際大きな滴を、その双眸から流した。
それを優しくぬぐい取ってやりながら、額に唇を寄せた拳西は、そのまま何事かを呟いて修兵を抱きしめる。

「檜佐木……」

先程から、ほとんど瞬きをせず、何より愛しんでいる恋人の顔も見ていない。
夢と現を彷
徨いながら、どちらの世界でも涙を流し続けているのだろう。
事が東仙がらみとなれば、狛村もその場を辞すわけにはいかない。
側に居てやりたいとも思うし、こちらの用件も彼の男がらみだ。
二人の向かい側にあるもう一つのソファに身を沈め、とりあえず、何があったのだと狛村は問うた。

「六車殿。その……檜佐木は、急にこうなったのか?」
「あぁ。オレが傍に居てやれるようになってから、幾度かあいつの事を思い出して泣くことはあったんだが、こんな風になったのは初めてだ。あいつの名を一度呟いたっきり、ひたすら涙を流すばかりで、意思の疎通がはかれない。話ができねぇもんだから、何が修兵をこんなに揺さぶってるのか、見当も付かなくてな。もう少しこの状態が続いちまうようなら、あんたを呼ぼうと思っていたくらいだ」
「そうか……」
「もちろん、すぐに泣き止んで欲しいってワケじゃない。オレの傍でなら、好きなだけ、思う存分泣かせてやりたい。ただ……」
「その理由を共有できず、檜佐木を一人悲しませているのは、嫌か?」
「そういうことだ。なぁ……アンタは、なんか知らねぇか?」
「うむ。おそらく……と思うことはある。実は儂がここへ来たのも、東仙に関わりがあることでな。今の檜佐木には、少し……辛いかもしれないが」
「構わない。オレが傍にいる。だから……」
「うむ、承知した。まぁ……そう急くな。儂の用件というのは、これだ」

そう言うと、狛村は懐から一つの文箱を取り出した。

漆塗りのきわめてシンプルなそれに、「あん?」と拳西が眉を顰める。
正直、それはどこにでもあるような文箱だった。
金銀螺鈿の装飾が施された立派なものでもなければ、名のある古物というわけでもない。
それこそ、修兵や拳西が日常的に使っているものと、ほとんど差異がない。
だが、ある一点においてそれはきわめて異質なものだった。
それは……

「と、ぅせんたいちょ……?」

「檜佐木……?」
「修?……」
「あ……ゃぁ、どぅして?」
「修兵、どうした?おい、オレがわかるか?」
「ぁ、け、んせいさん……」

恋人の腕の中で、華奢な身体がかたりと震える。
瞳は先程までの虚ろな色とは違い、本来の紫黒に確かな知性が宿っていた。
ただ、それと同量の驚愕、そして辛苦がそこには混在している。

「どうして……?」と、か細く呟いたところを見ると、修兵は、これがなんなのかを理解したのだろう。
震える声で、拳西に問う。


「拳西さ……ねぇ、ど、して?どうして、この箱から……東仙隊長の、霊圧を感じるの?ね、どうして?どうして……っ」
「―――檜佐木」
「っぁ……こま……狛村、隊長」
「うむ。事情は今、儂からきちんと話そう。落ち着いてくれ。さぁ、ゆっくりと息をするんだ。そうして、お主が震えていては、六車殿も気が気ではあるまい」
「は、はい……すみ、ません……」
「良い。無理もないのだ。儂とて、これを見つけた瞬間は、お主とさほど変わらず動揺した。お主をそれほど乱していた原因も、恐らくこれだったのだろう」

実はな、と狛村は続ける。

「これが、このように東仙の霊圧を発現するようになったのは、本当につい先程のことなのだ。いや、それどころか儂は……このような箱が手元にあることすら知らなかった。それが不思議でな。いくら争乱に紛れ、その後の喧騒に身を置こうと、これほど強くあやつの霊圧を感じられるものに、儂が気付かぬはずはない。そこで急ぎ、浦原殿に来ていただいて検分願ったのだが、どうもこの箱は、長いこと儂の部屋で結界に包まれていたらしいと言うのだな。何でも『そこにあるのに普段は存在を感じさせないようにする』のだと浦原殿は言っていた」
「その結界が、突然今日解けたと?」
「あぁ。実はそれには……貴公が関係しているとのことだった」
「オレが?」
「うむ。その結界は『貴公の霊圧を、この尸魂界内に一定期間かつ継続的に感知すること』で解かれるものだったというのだ」
「つまり……」
「そう。貴公が尸魂界に帰ってきた、と言うことが確かに認識できた時点で、自動解錠するように設計されていたらしい。そして、それを行ったのも……」
「東仙、か」
「うむ……」

ふ、と場に落ちる沈黙。
皆、それぞれ目の前の箱に対して、三様、複雑なる感情に惑うているのだろう。
しばらくして、ようやく拳西が口を開く。

「………それで、開けたのか、それ」
「いや。開けてはいない。正確に言えば、開けられないのだ」
「開けられない?」
「うむ。気付かぬか?これ自体にもまた、強固な結界が張られているのだ。ついでのことと、浦原殿に見てもらったのだが、この結界は儂と貴公とそして……檜佐木、お主の霊力を少しずつ注ぎ込んで、ようやく解錠叶うものらしい」
「狛村隊長と、拳西さんと、オレ……?」
「あぁ。思うに……それも東仙の願いだろう。儂と六車殿、そして檜佐木……我ら三名が同時に存在すると言うことが、どういう意味を持つか、お主には解るな?」
「はい…」

思うに、東仙はとうの昔から知っていたのだろう。
自分の頬に数字が刻まれていることも、それが、他ならぬ拳西を指し示していることも。

それに、あの日拳西が自分を助けてくれたあの場所に、東仙もいたのだ。
こちらが名乗った名を、東仙が朧気に覚えていたとしても不思議ではない。


「それでだ。儂はこの箱の中身を是非とも知りたい。東仙が、我らに残していってくれたものを知りたい。あやつが我ら三人に残していった意思を……知ってやりたいのだ」
「東仙隊長の、意思……」
「うむ……いや、本心を言えば儂も寂しいのかもしれん。解り合えたと思ったら、すぐにいなくなってしまったからな……あやつは」
「……………」
「そこで……貴公ら二人の力を借りに参ったのだ。無論、それぞれ思うところはあるだろう。中を見ることを強制はしない。開けることも拒むというなら、仕方なきこと」
「そんな、狛村隊長……オレ達は……」
「あぁ。よせよ、そんなこと言うのは。修兵もオレも協力は惜しまねぇから」
「………そうか。有難い……心から礼を言う。六車隊長、そして檜佐木」

そう言って、巨躯を丸め、狛村が二人に向かって頭を下げた。
そして、解錠のための方法を、完結に述べ伝える。
必要なのは、一桁代の覇道の、それも相当力を弱めたもの。
器用な修兵と異なり、鬼道は不得手な狛村と拳西だったが、その程度なら事もない。

「では……」という狛村のかけ声と共に、ぽぅ、と火玉状の鬼道をその手に作り出していく。
そして、それぞれの霊質に応じた色で輝くそれを、そっと箱に向けて送り出すと、文箱は全ての火玉をすぅ、と吸い込み、そして、ゆるやかにその実体を消していった。
「あぁ……そういう仕組みになっておったのか」と、狛村が呟く中、まるで硝子の箱のようになったそれから、中身が透けて見えてくる。
最終的に輪郭すら朧となり、完全に文箱が姿を消した頃、そこにあったのは、また二つの箱。

「?………なんだ?」

大きさは、ちょうど文箱の二分の一。
それが二つ、ぴったりと文箱に入っていたらしい。
漆塗りのシンプルな作りは先の箱と変わらず、大きさのみが異なっている。
三名に対して箱が二つ。
恐らくその配分は……誰もがそれを予感しながら、箱を検分してみると、果たして予想通り、蓋にはうっすらと下地を透かす、小さな彫り物がしてあった。
片方には七番隊の隊花が、そしてもう一方には、九番隊の隊花が。


「どうやら、こちらは儂宛て、そちらは貴公ら二人宛てのようだな」
「はい……」
「では、儂はここで失礼しよう。貴公らに宛てたものまで見て欲しいとは、東仙は考えまい。手間をとらせたな。ありがとう、六車殿、檜佐木。では儂はこれで……」
「はい。あの、っ……」
「ん?どうした、檜佐木」
「あの、狛村隊長……その……」
「………解っておるよ、檜佐木。なに、お主という見本がこんなにも近くにおるのだ。待てるとも。それが、東仙が一番苦しい時に、何もしてやれなかった、儂の償いだ」

そう言うと、修兵の頭をそっと撫で、狛村は部屋を出て行った。
後に残されたのは拳西と修兵、そして二人の名宛ての小箱。
じっと箱を見つめて考え込む修兵に代わり、それを手にした拳西は、ひとしきりまたそれを調べた後「どうする?」と穏やかに恋人に問う。
開ける、と言うこと自体に迷いはない。だが、今で大丈夫か、と。
少しの間、思考した修兵は―――最後にこくん、と首を縦に振った。
拳西が傍にいてくれるなら大丈夫、と言う意味を込めて「開けましょう」と告げる。

「本当に、平気か?」
「えぇ……」

ここから、何が出てくるのかは見当もつかない。
ひたすらに、自分たちを苦しめ、悲しみをもたらすだけのものかも知れない。
けれど狛村が言っていた通り、自分と拳西、二人が揃った状況でなければこれが開かないと言うことに、必ず意味がある。
そこに、東仙の願いがある。

だから、開けましょうと言った修兵に、わかったと拳西も応じた。
そして、先程調べて理解した、この箱の解錠方法を修兵に伝えてやる。

今度の鍵は、二人同時に霊力を注ぎ込んで外れるもの。
まず修兵が蓋に手を置き、その上に拳西の手が重なる。
タイミングを合わせ、箱に霊力を注ぎ込むと「かち、ん」と言う音がして鍵は外れた。
先程とは違い、箱が消える気配はない。
「開けてみろよ」と言う声に背を押され、修兵はゆっくりと蓋を取った。

すると、中に入っていたのは、また箱。
否、箱形の奇妙な機械で。

「………なんだ、こりゃ」
「あ、これ……は」
「解るのか?」
「えぇ……これ、オレが昔、東仙隊長に差し上げたオルゴールです」
「オルゴール?」
「えぇ。拳西さん、知りませんか?とても綺麗な音を鳴らす絡繰なんです。東仙隊長は、目がご不自由だったこともあってか、綺麗な音や良い香りを好まれて。これは、副隊長になって、初めて現世任務へ赴いた時、お土産にと差し上げたものなんです」
「へぇ。そいつは……喜んだろ」
「はい。ありがとう、大切にすると……」
「そうか。そいつをオレとお前に残したって事は……形見にしてくれ、と言うことか」
「多分……でも、あれ?何だかこれ……」
「ん?どうした?」
「いえ、実は昔、オレも同じ型のものを持っていたんです。そっちは壊れてしまって、もうないんですけれど……ただ、良く音色を聞いていたから解るんです。これ、中の構造を……少しいじってあるような気がする。その、何をと言われると答えようがないんですが」
「?……妙だな。とりあえず動かしてみたらどうだ?」
「え、えぇ……そうします」

でも、一体何だろう?
そう首を傾げながら、修兵がきりきりと螺子を巻く。
そして、しばし―――すると、本来なら緩やかなクラシック曲が流れてくるはずのそれから、ある人物の声が流れ始めた。

檜佐木、そして六車隊長―――と。
言うまでもなく、その声の主は、東仙要その人。
反射的に息を呑んで、身体を強ばらせた修兵を優しく抱き寄せた拳西は「オレが一緒にいる。大丈夫だから……聞こう?」と、ゆっくり恋人に言葉をかけた。
自分を護る力強い拳西の存在に、だが、それでも浮かんできてしまう涙。
今にもこぼれ落ちんばかりのそれを、じんわりと瞳の端ににじませながら、修兵がこくん、と頷く。

すると、まるでそのタイミングを計っていたかのように、再びその声は流れ出した。
もう一度二人に呼びかけ、そして長い長いメッセージが室内を満たし始める。


檜佐木、そして六車隊長……これを二人が聞いていると言うことは、檜佐木……お前を無事に、六車隊長のもとへ帰してやれた、と言うことになるのだろうか。
もしそうだとしたら、本当に……とても嬉しい。
いや、勿論それを、私一人が成したものだなんて思っていない。
お前が死神になるために、そして九番隊の副隊長になるために、どれほど辛い時間を送ってきたか……全てではないが、私はいくらかそれを知っているからね。

それになにより……お前と六車隊長を引き裂く原因を作ったのは、他ならぬ、この私なのだから。
これはもう、六車隊長がお前に話しているだろうけれど、お前の大事な人を傷つけたのは、この私だ。
それに何より……お前の心も深く傷つけてしまった。

これも、聞いているかな……あの日、六車隊長はね、お前の綺麗な魂に惹かれていたんだよ。
お前を助けたその時に、六車隊長の霊圧に、奇妙なブレが生じたことに私は気付いていた。

それが、幼いお前への恋慕の情と気付くのに、ほとんど時間はいらなかったよ。
九番隊が調査していた魂魄消失事件―――それも、我々が仕組んだことだったのだけどね、それが終わったら、きっとお前を捜し出して、自分の手元に引き取るつもりだったに違いないと私は確信している。
事実、お前には霊力もあったから、あれ以降も虚に狙われる可能性は高かったんだ。
だがそれ以上に―――いや、もう言う必要はないね。

………檜佐木、本当にすまなかったね。
本当にお前には、辛い思いをさせてしまった。
こんな事、私に言う資格はもうどこにもないのに、それでも、一言謝っておきたい。
そして、もし良ければ、言い訳にしか聞こえない私の懺悔に、耳を傾けてくれると嬉しい。
それから、六車隊長―――多分、私はもう直接にあなたと言葉を交わす機会を持つことは出来ないでしょう。
本当は、あなたにも直接伝えなければならないことが、山とあるのに。
ひとえに、私の事情からそれが出来ないことを、どうか赦していただきたい。

そして、これから私が話すことを、檜佐木と一緒に聞いてやってはくれまいか。
あの子は―――もう、あなたも知っているだろうが―――繊細で、本当はとても泣き虫な子なのです。

さて―――どこから話をしようか。
そう……私はね、檜佐木、もうずいぶん前から、お前があの日の子どもだと言うことに気付いていた。
名前もさることながら、決定的だったのは、やはりお前の左頬だよ。

その頬の数字は、何より私の罪の証だったのだからね。
私が気付いていた位だから、藍染様は―――あぁ、こんな時でさえ、憎むべきあの男をそう呼んでしまう私を赦しておくれ。
最後の一欠片残そうとしている私の良心でさえ、あの方の支配を逃れることが出来ずにいるのだ。

いや―――これは、お前や六車隊長には関わりのないことだね。続きを話そう。
そう……お前はね、最初、五番隊へ配属される予定だったのだよ。
愉快そうに笑いながらそう言うあの方を見て、私はぴんと来た。

藍染様が、お前にある選択を強いるつもりなのだとね。
あの方は、お前が六車隊長を求めていることを承知で、真実を………百余年前のあの夜に、一体何があったのかを話すつもりだったんだろう。
そして、お前に選ばせるつもりだったんだ。
抵抗の果ての死か、隷属の上の生かをね。
その時、私の心に芽生えた思いが一体何だったのか、よく解らない。
良心と言えば聞こえは良いが、贖罪と名を付けることが、一番ふさわしいような気もするのだ。
ただいずれにせよ、きわめて身勝手な思いだったことは確かなのだろうね。

それはともかく、あのとき私は初めてあの方に意見したのだ。
どうか、お前を九番隊で引き取らせてもらえないかとね。
あの方はずいぶん驚いていたようだったよ。
無理もない。
何事につけ、常に従順だった私が、初めて異を唱えたのだからね。

だが、最終的にはそれを許可してくれた。

それが何故なのか、今でも私には解らない。
ただ……その方が面白い、と考えたのだろうは思うのだ。
何故なら―――お前に接する度、いつしか私の心の中には様々な葛藤が、これでもかと言うくらい渦巻くようになったからだよ。
あぁ……本当に、今でも心から思うんだよ、檜佐木。
あの方にこの心を染められてしまう前に、お前に出逢えていたら―――とね。
そうすれば私は、本当に護らなければならないものを……この手で剣を振るう志も、正義も、死神でいる意味も見誤らずにすんだのに……。
それでも、お前の綺麗な魂に触れる度、日々葛藤して、道を元に戻そうともした。
何度も何度も……。
だが、結局それも出来ないまま、ずるずるとこんなところまで来てしまった。
そして、お前の側にいられる時間は、もうほとんど残されていないだろう。
既に取り返しが付かないところまで、私は足を踏み入れてしまったのだからね。
もう私に出来ることは、何を告げることもせず、お前を、ここへ置いていくことだけだ。
十三隊の力が、あの方に及ぶかどうかは解らない。
だが、お前の命を守るためには、それが最善なのだと思う―――否、それが間違いでないことを、今はただひたすらに祈るばかりだ。

―――六車隊長、不出来な部下を赦して欲しいとは言わない。
だが、どうか檜佐木のことだけは、お願いします。
この子には、私が出来うる限り、あなたが過去、我々にくださった教えを伝えてあります。

己の振るう剣を恐れ、戦いも恐れよと。
あなたが育てるべきだったこの子に、私がしてやれたことはそのくらいだ。
仮にもし、あと一つ誇れることがあるとすれば、この子を死なせることなく、あなたのもとへ帰してやれたことでしょうか。
どうか、この子を……お願いします。

そして、檜佐木……今まで本当にありがとう。
お前が何も疑わず、私を慕ってくれたことは、時に心苦しくあったが、それよりも救われる思いの方が遙かに大きかった。
お前の優しい献身には、どれだけ礼を尽くしても足りない。

ありがとう。そして、本当に辛い思いをさせてすまなかった。
檜佐木……どうか六車隊長と、幸せになるのだよ。
今私が、お前に願うのは、それだけだ。
檜佐木……お前は紛れもなく、私にとっても大事な―――お前が副隊長として側にいてくれて、本当に良かった。
幸せだった。

だから今度はお前が……六車隊長に導かれて、愛されて必ず幸せになりなさい。

幸せに―――


そして、ぷつ、と唐突にそのメッセージは途切れた。
訪れた静寂―――それを、徐々に徐々に修兵の泣き声が満たしていく。
己の腕の中、いつしか声を限りに泣き叫んでいた修兵を抱き、拳西はぎり、と歯を噛んだ。

(……最後まで、てめぇの大事な部下を泣かせてんじゃねぇよ、阿呆)

だが―――

(お前の願い……それだけは叶えてやるさ。必ずな)

裏切りも事実。
自分と修兵を引き裂いたのが、東仙だったことも事実。
だが、自分が不在の間、東仙が修兵を護っていたことも、また事実。
だから拳西は、元部下に礼を言った。
自分の代わりにこの愛しい魂を護ってくれてありがとう、と。
初めての―――否、最初で最後の感謝の言葉は、静かに天へと昇っていった。





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