■ 白獣の休息−2 ■



■ 2 ■


結局、二人と一匹の夕食は、終始、二人の世界だった。
確かに食事自体は美味しかったし、幸せなハプニングもあった。
だが……。

食後、檜佐木と六車は色々なことを話し始めた。
今日の仕事のこと、次の休みの予定、明日の朝食のこと……それらを聞くともなしに聞きながら、檜佐木の膝の上でゆっくりと頭を撫でて貰うが、気分は一向に晴れやしない。
どうしても感じざるを得ない疎外感―――もうなんだかこのままふて寝を決め込んでしまいたくて、そっと目を閉じかけた、が。


「さて……お前のことだから、どうせ、そいつも風呂に入れるんだろう?飯の片付けはオレがやっとくから、お前はそいつと先に風呂に入ってこい」
「はぁい。じゃ、一緒に入ろうね」
(………は!?な、何、一緒!?)

檜佐木と一緒に風呂!?
いや、嬉しいが……嬉しいのだが……!

思わぬ事態に固まっていると、あれよあれよという間に脱衣所に連れて行かれ、洗面台にのせられ、ぱちんと首輪を外されてしまった。
我に返った時は既に遅し―――扉は完全に閉ざされ、今更逃げられようはずもない。
うろうろと視線を彷徨わせていると、「ちょっと待っててね」と言いながら、檜佐木が死覇装を脱ぎ始めた。
驚くオレの目の前で、上半身から徐々にその肌が露わになっていく.


(ぅ、わ……)

檜佐木の裸身を見るのは初めてで、当然直視など出来るはずがない。
ばくばくと脈打つ心臓を必死で抑え込みながら、オレはふいと視線を逸らせた。
だがその間にも聞こえてくる衣擦れの音で、心臓の音は確実に増していく。

だが、そんなオレの事情など檜佐木が知る由もない。

「さ、綺麗にしようね。家のお風呂ね、アルカリ性の温泉なんだ。気持ちいいよ?」

腰にタオルを巻いた以外は、見事な裸身をオレの前に晒した檜佐木は、そう言ってオレを抱き上げて浴室に入った。
「先に洗っちゃおうか」と言いながら檜の床にオレを下ろすと、シャワーで丁寧にお湯をかけ、次いで、石鹸を丁寧に泡立て、優しくオレを洗ってくれる。
下手に動いたら洗い辛いだろうと思い、じっとしていると「良い子なんだなぁ、ちゃんとおとなしくしていられるんだ」と褒めてくれた。そのまま顔から耳から全てを洗ってもらい、全身を覆う泡を綺麗に落としてもらうと、今度は檜佐木の番。

「ちょっと待っててね」と、檜の桶にオレを入れた檜佐木はまず髪の毛を洗うと、顔、そして身体を洗い始めた。
折を見て「寒くないか?」とオレに話しかけながら、ぷくぷくとした泡にくるまれていく様子がなんだか可愛らしい。
身体を洗う仕草は繊細で、おそらく六車とは対照的なその動きに、先ほど自分を洗ってくれた優しい手をオレはそっと思い出した。


(……気持ち、良かったな)

いや、変な意味ではなくてだ。
優しくオレを洗ってくれた檜佐木の手には、オレに対する愛情と慈しみの想いが溢れていた。
残念なのは、それが本来のオレに対するものではなくて、今の姿のオレに向けられたものだと言うことだ。


(はぁ……)

そう考えると、やはり少し落ち込んでしまう。
だがもっとも、よくよく考えればそれは当たり前のことなのだ。
檜佐木には六車がいる。
元々、愛情を向ける相手はオレじゃない。
けれど、論理的には理解できても、感情的には納得できない。
そしてそれは結局の所、オレが檜佐木を好いているという、何よりの証でもあった。


「……さ、終わったよ。あったまろうか?」

そうこう考えているうちに、檜佐木自身も身体を洗い終えたらしい。
「溺れちゃうから、このままね」と、オレを桶ごと抱えて湯船の中へ。
そうして側にあった手桶でお湯を掬い、桶の中へ入れてくれた。
ぷかぷかと湯船に浮かぶ桶の中、丁度良い温度のお湯が心地よい。
思わず喉を鳴らすと、檜佐木が嬉しそうに笑った。


「よし、じゃあそろそろ出ようか」

十分ほど暖まって、入浴終了。
洗面所に戻るとタオルで身体をくるんでもらい、しばし檜佐木の着替えが終わるのを待つ。
勿論、目は閉じてだ。頃合いを見計らって目を開けると、寝間着にしているのか、淡い藤色の浴衣に身を包んだ見慣れぬ姿が新鮮だった。
肩からタオルを羽織っているのは、多分、まだ髪が濡れているためだろう。
六車が戻ってきてから伸ばし始めた綺麗な黒髪は、今はもう肩に届くくらいになっているのだ.

「お待たせ」

にっこりと笑った檜佐木が、オレをくるんでいたタオルを新しいものに変え、また抱き上げてくれる。
次いでその場にあったドライヤーを手に取ると「あったかいところで乾かそうね」と言いながら、居間へ。
そしてそこで茶を飲んでいた六車に、檜佐木はふんわりと笑いかけた。


「拳西さん、お風呂でました」
「ん。ご苦労さん。結構早かったな」
「はい。この子がとっても良い子にしててくれて……全然暴れたりしなかったんですよ」
「ふぅん……」
「これからここで、毛を乾かしてあげようと思って」
「それは良いが……お前もだぞ?ほら、こっち来てみろ」
「えっ?……わ、っ」
「ったく……髪の毛ほとんど拭いてこなかっただろう」
「ご、ごめんなさい……」
「この犬っころの世話を焼くのは良いが、それでお前が風邪をひいちゃしょうがねぇだろうが」
「……大丈夫ですよ」
「ん?」
「オレの世話は、こうして拳西さんが焼いてくれるから……」
「修兵……」

………あぁ、またか。
悔しい話、正直そう思ってしまった。
檜佐木の肩に掛かっていたタオルを取り、いとも自然にその黒髪を拭いてやる六車と、それを嬉しそうに享受する檜佐木。
いつのまにか、湯の温もりじゃない要因で染まった頬と目尻が色っぽくて、思わず見とれてしまう。

だがそれも、結局は六車がもたらしたものなのだ。
檜佐木が愛する相手は六車ただ一人。
だからこそ、六車に色々としてもらうことが嬉しくて、六車もそんな檜佐木が愛おしいに違いない。


「オレも風呂に入ってくるな。湯冷めするなよ?」
「はい……」

その言葉を機に身体を離した二人の間には、それでも何か繋がるものがあるように見えた。
それが証拠に、六車の背を見送る檜佐木の眼差しは、どこまでも深くあたたかい。
もちろん、その後すぐにオレに向けてくれた眼差しも、ふんわりとしたあたたかさを帯びていた。

「……よし、それじゃ風邪ひかないように、乾かそうね」
その言葉にも、オレへの愛情が目一杯つまっているのが解る。
だが、やはり………六車のそれに比することは出来ないように思えた。


■ 3 ■


そんなわけで、ドライヤーで丁寧に身体を乾かして貰っている間も、オレは上の空だった。

(はぁ……)

髪を乾かす檜佐木を見ても、その流麗な仕草を見ても、なんだか気分が浮上しない。
その後、寝室に運ばれて尚、やはりオレの気持ちは沈んだままだった。


「よいしょ、っと……今日は、ここで眠って良いからね」

そう言って、おそらくは二人で眠っているであろうベッドに、すとんとオレを下ろしてくれた檜佐木は、側にあったブランケットを細工し、オレのために壁際の枕元へ即席の寝床を作ってくれた。
柔らかい布団を横断し、そこへ腰を落ち着けると、檜佐木も布団に身体を入れる。


「ん……眠って良いよ?」

だが、オレにはそう言うものの、檜佐木自身はまだ眠る気はないらしい。
おそらく六車に湯冷めするなと言われたから、布団に潜り込んだだけなのだろう。
眠気を感じさせない大きな瞳を瞬きながら、寝床で身体を丸めたオレの方を向き、ゆっくりと身体を撫でてくれる。


「うーん……本当にふわふわで可愛いなぁ……」
(いや、可愛いのはお前の方だと思う……)

松本も言っていたが、この手の動物が本当に好きなのだろう。
ほんの十数センチ先にある檜佐木の顔はずっと笑み崩れたままだ。

本当に可愛い。
だが……可愛いが、どうして足りないなんて思ってしまうのだろう。
もっともっと魅力的な表情があるはずだなんて、どうして思ってしまうのだろう。
そんなの、どうしたってオレ自身が引き出してやれるものではないはずなのに。
六車しか、引き出せないものなのに。

(莫迦か、オレは……)

そこまで解っているなら……否、解っていてどうしようもないくらい好きなのだ。
それこそ叶わぬ悲願と解っていて、それでも願ってしまうくらい好きなのだ。

けれど……そうだな。
だからこそ、せめてこの一時だけでも、普段感じることの出来ない幸せを味わうことが良いのかもしれない。
今の自分に向けられた檜佐木の感情や表情を、素直に受け取ればよいのかもしれない。
それがおそらく、松本の志にも添うことになるはずだ。
よく考えれば、今のこの状況だって、相当貴重なのだ。

そう割り切ってしまうと、少し気持ちが楽になった。
今のオレに注がれる檜佐木の眼差しと、優しい手の動きに、神経を集中させることが出来る。
そうしてみると、まるでマッサージをされているかのような手の動きが、心底気持ち良かった。
思わずうとうとと眠りかける。
だが、その時檜佐木の口から出て来た名前に、オレの眠気は一気に彼方へ吹っ飛んだ。


「………日番谷隊長」
(……っ!?)

今、何て……?

「………あ、ごめん。いきなり声出したから吃驚させちゃったね。眠って良いよ」


そう言って、檜佐木はまたオレの頭をなで始めてくれたが、眠ってなどいられるはずがない。
何故オレの名を唐突に呼んだのか、それが知りたくてたまらない。
続きを話してくれることを期待して、にこにこと笑う檜佐木の顔をじっと見つめる。

すると、オレの視線に気付いたのだろう。
戸惑ったようにおずおずと笑いながら、それでも檜佐木はぽつぽつと言葉を紡ぎ始めてくれた。


「あの、ね……日番谷隊長って言う方がいるんだよ。お前にそっくりな色の髪の毛と、目の色をした方でさ。オレの……恩人、なんだ」
(恩人………?)
「オレね、今でこそ拳西さんと一緒にいて、毎日がとても幸せだけど、昔、二回、大切な人とお別れしたことがあったんだ。一人は拳西さんだよ。拳西さんはね、小さい時にオレを助けてくれた人で、その瞬間からずっとずっと大好きで……けれど、オレが知らない間に遠くに行かざるを得なくて…あ、もちろん、今はこうして一緒なんだけど。それで……もう一人って言うのが、オレの前の……上司。上司って解るかな?オレがお仕えしてた人だよ。それで、オレに色々なことを教えてくれた人。東仙隊長って言うんだけどね。その人とも、色々事情があって、お別れしなきゃいけなかったんだ……」
(………そうだったな)

藍染の反乱が表面化して、オレ達が裏切られているとようやく認識出来た瞬間、檜佐木は自分の隊の隊長を失った。
それは確かに、吉良や雛森も同じだっただろう。
だが、得体の知れない市丸や、周囲を完全に欺ききっていた藍染と違い、東仙はその全てが偽りの姿ではなかった。
隊長として副隊長である檜佐木を導き、慈しみ……それは決して全てが嘘ではなかったはずだ。
だからこそ、吉良や雛森以上に、檜佐木が味わった喪失感は大きかったはず。

だが……檜佐木は健気すぎた。
隊長不在の九番隊をまとめるべく、何でもないと周囲に笑顔を振りまき、休めと言っても決して休まない。
六車が戻ってきた今でこそ、檜佐木が無理をすることはなくなったが、あの時は、本当にどうにかなってしまうんじゃないかとさえ思えた。


「………東仙隊長がいらっしゃらなくなって、九番隊が大変なことになっちゃって、だから頑張ろうと思って、頑張って……だって、隊長が謀反を起こした隊なんて、隊ごと取り潰しになっても、おかしくなかったから。だから、必死だった。どうしても九番隊を護りたかった。拳西さんが戻ってくる場所を、ちゃんと護っていたかったんだ……でも……今だから言えるけど、すっごく無理してた。寝ない日が続くのなんて当たり前で、身体はガタガタで、それでも仕事の手を止めるのが怖くて。正直ね、半分パニック状態だったんだよ。それでもさ、そう言うの隊士達に見せるわけにはいかなくて……多分、阿近さんなんかにはバレてたと思うけどね。あ、阿近さんっていうのはね、すっごい科学者。それであともう一人、バレてた相手がいたんだけど。それがね……日番谷隊長なの」
(檜佐木……)
「うん……気付いてたよ、オレ。毎日直接、九番隊に書類を届けに来てくれて、さりげなくお昼に誘ってくれて。定時になると、またオレの所に来てくれてさ、有無を言わせず「帰るぞ」って。でもね、帰るって言いながら、行くのは朝までやってる居酒屋で、沢山オレにお酒を勧めてくれるの。そう、無理矢理にでも、オレを眠らせちゃうためだよ。後で聞いて知ったんだけど、オレ専用の枕と布団まで用意しててくれて……そうそう、うちの隊士達に「あまり檜佐木に仕事を回すな」って言ってくれたことも知ってるんだよ。すごいよね。オレ、どれだけ日番谷隊長に助けてもらってたんだろう、どれだけ大事にしてもらってたんだろうって……そう思う。だってさ、日番谷隊長がいらっしゃらなかったら、オレ、きっと自滅してたよ。それこそ、九番隊を護りきることなんて、絶対に出来なかったと思う。オレと拳西さんにとって大事な場所を護りきることが出来たのは、日番谷隊長のおかげだよ……」
(………そうか)

知って、いたのか。
松本以外、気付かれてはいないと思っていた。
あの時もこれからも、ずっと知られることはないだろうと思っていた。
けれど……そうか、知ってくれていたのか。


「だからね……日番谷隊長は、オレの恩人さん」

そう言って、柔らかくはにかんでくれた檜佐木に、言い知れぬ想いがこみ上げる。
恋や愛という名の想いが届いていたわけではない。
けれど、檜佐木を大事にしたいというその想いは、相手に確実に届いていたのだ。
嬉しい。
言葉が発せられるものなら、今ここで、オレの方こそ礼を言いたい気分だった。


「でもね……」
(……ん?)

何だ?

「オレが言うのも何だけれど……今は逆に、ちょっと心配してるんだ。日番谷隊長、最近凄くお忙しいみたいで、とっても疲れているみたいだから」
(檜佐木……)
「今日はお会いできなかったんだけれど、明日お届けする書類があるから、その時に少し何かして差し上げられたら良いんだけど……もちろん、本当はお仕事を忘れてどこかでゆっくり休める場所があれば理想なんだけれどね。日番谷隊長、あまり人に甘えたりされない方だから、オレが変に気を回すとご迷惑かもしれないし……」
(いやいや、迷惑なんかじゃない……!)

むしろ、心から嬉しくてたまらない。
六車が帰ってきて以来、檜佐木が見ているのは六車ただ一人だと思っていた。
けれど―――もちろん六車に対するものとは違えど―――オレにもその眼差しを向けていてくれたなんて。


「うーん、本当にどうしよう。オレに甘えてください……なんて言ったら怒られそうだしなぁ。日番谷隊長ってね、死神としての力だけじゃなく、心もお強いんだよ。滅多な事じゃ、弱音を漏らしたりしないんだ。でも……うん、だからこそ甘えられる相手がいればいいんだけどね」
(甘えられる相手……?)

それは確かにいない。
否、いるにはいるのだ。それは他でもない……


「ん?……あれっ、あ、え?」

今の今より、更に近くで聞こえる檜佐木の声。
驚きで少し跳ねるそれにも構わず、オレは檜佐木の胸に潜り込んだ。
きっといつもは六車の特等席であるそこは、石鹸と檜佐木自身の甘い匂いがするあたたかい場所。

「こっちで眠るの……?」と問う檜佐木に、くぅ……と喉を鳴らす。
すると、嬉しそうに笑った檜佐木は、「そっか、お前は甘えっ子なんだね」と言いながら、オレをゆっくりと抱きしめてくれた。
甘くてあたたかい、オレにとって最高の休息場所。

「明日の朝、甘納豆の蒸しパンを作ろうかなぁ……日番谷隊長、お好きだし……」

そんな嬉しい言葉を子守歌に、檜佐木の腕の中、甘えるように身を寄せて目を閉じる。
こうして安らぎを約束された一夜に、今はただ幸せな想いだった。
ただしかし不肖の部下へ、素直に「ありがとう」とだけは、口が裂けても言わないつもりだった。





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