■ 共生の再約 ■
昔から、拳西さんのことは、誰よりもよく解った。
他の誰にも解らないことも、オレだけはなぜか解っていた。
それは隊長という立場上、表に出せない感情であっても同じだった。
拳西さんに引き取られたばかりの頃、オレは自分のその力が、ある縛道によってもたらされているものだと信じて疑わなかった。
幼い時分、拳西さんが傍にいないことを、泣いて拒否していたオレのために、浦原隊長が作ってくれた特別縛道。
拳西さんとオレを常時繋いでくれるそれが、オレに拳西さんを理解する能力まで与えてくれているのだと思っていた。
だが、それはどうやらオレの勘違いだったらしい。
天才科学者たる、浦原隊長をもってしても解らない。
けれど、真子さんには、その正体がいとも容易く分かる。
そんなオレの力は―――今も健在だ。
別に、何ら特別なことをしなくても、拳西さんのことが全て解る。
身体の状態も、考えていることも、感情の揺れも。
だからこの日―――何となくだが、呼ばれる予感はしたのだ。
オレを失う恐怖にとらわれて、身を裂かれるような痛みに耐えている、拳西さんに。
―――時は、霊術院二学期初頭の午後。
まだ、残暑が厳しく残る教室内には、黒板を白墨が叩き滑るあの独特の音、そして講義書がめくられる際の紙の擦れ音が響き渡っていた。
昼食後最初の授業だけあって、少し眠たげな院生が目立つが、六回生の授業だけあって、教室内は一定の秩序が保たれている。
オレ自身も、いつもそうしているように真面目に授業を受けていた。
この時間は座学で鬼道の講義。人によっては退屈な内容だろうが、既に九番隊への配属が内定しているオレにとっては、重要な授業の一つ。
特に拳西さんは、己の腕一本で虚に立ち向かっていくタイプだから尚更だ。
拳西さんのサポートを担う副隊長には、高位鬼道のマスターが不可欠。もちろん斬魄刀での戦闘法も、しっかりと身につけなければならない。
オレは……まだまだ無力だ。
六回生筆頭と言っても、それは結局霊術院内でのこと。
一回生を連れて行った夏休み前の現世実習で、オレはその自覚を新たにした。
正体不明の虚による院生襲撃事件―――死亡者二名、重傷者一名。
確かに、敵は討てた。この顔の傷を代償に。
けれど、今も友人を失ったことへの後悔の念は消えないし、だからこそ、顔の右半分を走る傷も消す気には到底なれない。
けれど何より、あの時の拳西さんのことは……多分一生忘れられない。
事件から都合一週間、意識不明の状態から脱したオレの名を狂ったように呼び、オレの傷が回復するまで、決してオレの傍を離れようと
しなかった拳西さん。
こうして霊術院に通えるようにまで回復しても、まだ心中の不安はぬぐえないのだろう。
オレだからこそ解ってしまう、拳西さんの願い。
オレを決して失いたくないと言う、祈りにも似た願い。
だからこそオレは、拳西さんに、二度とあんな思いをさせたくはなかった。
なのに――
「っ……」
何だこの感覚……これは……否、まさか。
けれど……間違いない。
「………ん?どうした、檜佐木?」
知らず椅子から立ち上がっていたオレに、講師がそう問うてくる。
だが、それに応じる間もなく、教室の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、浮竹隊長と京楽隊長。突然の有名人の登場に、教室内が一気に騒がしくなる。
しかし、当の二人はただならない様子でオレの机にやってくると、
「修兵君……わかってる、ようだね」
そう言うなり、全速力の瞬歩でオレを教室から連れ出してしまった。
瞬きをする暇もなく到着したのは、九番隊隊舎―――オレと拳西さんが暮らす部屋。
何故か結界で閉ざされたその扉の前には、真子さんや白さん、鉢玄さんの姿があった。
「修兵……」
普段の明るい笑い声はどこへやら、沈痛な面持ちで真子さんがオレを呼ぶ。
「修ちゃぁあん……っ」
白さんは、ずっと鉢玄さんの傍で泣いていたらしい。
オレの姿を見るなり、再び泣き出してしまったその顔は、抑えることの出来ない悲しみで溢れかえっている。
そして白さんに限らず、真子さんたちの姿は皆、憔悴のそれ。
皆、決して軽くはない怪我を負ったらしく、各々の死覇装には、その跡が生々しく残っていた。
「………犠牲者の方は?」
「オレんとこが五名、京楽と浮竹んとこが十名ずつ。んで、九番隊は十六名……」
「そうですか……」
今朝方、拳西さん達から聞いていた合同任務。そ
れは九番隊を含めた四隊と鬼道部隊で、流魂街に巣食った虚の一斉討伐を行うというものだった。
虚の数や強さは、事前に二番隊や十二番隊が調査していたはずだったのだという。
ところが、いざ足を踏み入れたそこは―――
「修ちゃん、っ、どうしようもなかったのっ、四人も隊長がいて、真ちゃんも拳西も、みんなみんな……ハッちんだっていてくれたし、
白も頑張ったのにっ……」
そう言って、白さんは鉢玄さんに抱きしめられながら、また泣き出してしまった。
「無理あらへん。犠牲者の中には白の同期もおってな……」と、真子さんが呟く。
だが、その後すぐ「すまん……」と詫びたのは、多分オレがあの実習で亡くしたのも同期の院生だったと気付いたからだろう。
オレはもう大丈夫ですよ、と言う意味も込めて、二三度頭を振ってみせる。
そう、オレはもう大丈夫。
だから、今は拳西さんを―――
「……鉢玄さん、結界を解いて頂けますか」
「……大丈夫、デスカ?今の六車サンはその……」
「修ちゃんならだいじょぶだよ、ハッちん!だって、拳西は修ちゃんしかいないんだもん!修ちゃんしか拳西は……そうだよね、ねぇ、
そうだよね修ちゃんっ……!」
「はい」
「………そうでしたネ。白サンの言うとおりだ」
涙と鼻水全開の白さんに、鉢玄さんがにっこりと笑ってみせる。
次いで、腕の中でしゃくり上げる恋人の頭を、よしよしと撫で、オレを見た鉢玄さんは、
「では、解きマス」
そう言って、指をひと鳴らし。
するとその途端、一気に感じられるようになる、とてつもない大きさの霊圧。
部屋の中は多分、楽観視できるような状況にはない。
けれど、何も怖くはなかった。
「………行くんか?」
「えぇ。拳西さんがオレを待ってる」
そう言って、ためらいなく扉に手をかけたオレに、その時、誰かが医療道具の入った箱を渡してくれた。
多分、九番隊の隊士達を看病してくれている四番隊の隊士だろう。
中には一通りのものが入ってますからと言うその隊士に礼を言い、オレは、改めて真子さん達にこう言った。
「お願いがあります。オレが入ったら、皆さんはしばらくここから離れて下さい。大丈夫、拳西さんがオレを傷つけることなんてありません。
ただ……二人きりになりたいんです」
「解った。けど、何かあったらすぐにオレらを呼び。ここの隊舎内におるさかい」
「ありがとうございます……」
拳西さんがオレを傷つけるはずはない。真子さん達もそれは解っていて、けれどそれでも、今はその可能性を考慮せざるを得ないのだろう。
部屋に足を踏み入れてみれば、その憂慮が痛いほどよく分かる。
中は、まるで重力が何倍にもなっているみたいだった。
大きすぎる拳西さんの霊力が、無秩序に放出されて、独特の磁場を作っているかのよう。
けれど、オレにとって拳西さんの霊力は、何ら異な存在ではない。
他者の侵入をことごとく拒むこの空間も、オレにだけは開かれている。
そのまま静かに足を進めていくと、部屋の中央に拳西さんの姿が見えた。
オレに背を向け、まるで、放心したように立ちつくしている。
けれどオレが来たことには、多分ちゃんと気付いているはずだ。
四番隊の隊士に持たせてもらったものを畳に置きながら、オレは拳西さんの傍にすとんと腰を下ろした。そして、そっとその名を呼ぶ。
「拳西さん……」
「修兵……か?」
「はい」
「本当に、修兵か?」
「………はい」
その返事が、声で放たれた瞬間だった。
オレは、ものすごい力で、畳に押し倒されていた。
刹那、拳西さんの腹部から血が吹き出たのが解る。
拳西さんの体温と同じ温度の赤い液体が、オレの制服に通して肌に伝わる。
さりげなく傷のある位置に手を置いてみると、どくどくと、脈打つようにして血が溢れているのが感じられた。首や腕にも幾つもの傷。
鎖骨が折れているらしく、周辺の肌が不自然な色に変色している。命にかかわることはないとしても、放っておいて良い道理はない。
けれど、今は―――拳西さんの好きにさせてあげたかった。
多分、力が制御が出来ないのだろう。
骨が軋んで悲鳴を上げるほど、オレを抱きしめる腕の力は強い。
オレ自身が解るだけで、既に二本の肋にヒビが入ったようだった。
このまま行けば、確実に何本かの骨は折られる。けれど―――
(駄、目だ……)
どうしても………どうしても、抵抗したくない。
だが、骨よりも先に、肺が限界を迎えてしまったらしい。
進路を閉ざされた空気が、ひゅう、と喉を鳴らす。
その途端、ハッとしたように拳西さんの身体から力が抜けた。
そして……自分がオレに何をしたのか解ったのだろう。
「修、修兵……修兵……」
震える声でオレを呼び、今度はまるで、壊れ物にでもさわるかのように触れてくる。
その指先は氷のように冷え切り、顔も完全に血の気が引いて真っ青だ。
それなのに、全身がまるで滝に打たれでもしたかのように、しとどに濡れている。
そして、何かに怯えたように、間断なく小刻みに震える身体……間違いない、自律神経が完全に混乱している。
「修兵、修兵……なあ、修兵、返事してくれ、修兵……」
「拳、西さん……」
名前を呼ぶだけでも、非道く肺が痛い。
けれど、拳西さんが今感じている痛みに比べたら、こんな物理的な痛みなど、大したものではないのだ。
ずっとオレの名を呼び続ける拳西さんの頬に手を伸ばし、上体を起こしていきながら、オレは拳西さんに静かに口付けた。
「しゅ、う……へい」
一瞬硬直した身体―――それは、今まで拳西さんが感じていた恐怖の大きさの証。
震える魂ごと柔らかく包むように、オレは何度も拳西さんと唇を重ねた。
するとその度に、オレの腕の中に入ってくる拳西さんの身体。いつもとは真反対だ。
しばらくキスをしながら、拳西さんを受け入れていると、徐々に徐々に、拳西さんの魂が、凪いでいくのが解る。
大丈夫……もう、大丈夫だ。
「修兵……」と、穏やかにオレを呼ぶ声が、それをオレに伝える。
オレの首元に頭をのせた拳西さんは、オレの腕に抱かれて、静かにオレの存在を感じていた。
大きな手は、オレの着物の襟を割り、心臓のある位置でとどまったまま。ゆっくりと血液の流れる音を聞き、息づかいを聞き、そして―――
「………怖かったんだ。お前を失うことが。目の前で息絶えていく隊士達と、この前の……お前が重なって見えた。解ってはいたんだ。
お前は無事で、霊術院で授業を受けているって。なのに、頭では解ってるのに、身体が、心が、魂が……」
「うん……」
「笑っちまうよな。こうしてお前が傍にいてくれて…ようやくオレは自分を取り戻せてる。はは、これじゃまるで、昔に戻ったみたいだな……」
「昔……」
それはかつて、浦原隊長の縛道をお互いの身にはめていた日々のこと。
幼かったオレは、ほんの少しだって拳西さんと離れてはいられなかったのだ。
けれど………それは、今も何一つとして変わっていない。
「………戻ってなんかないよ」
だからオレはそう言って、拳西さんをゆっくりと抱きしめた。驚いたように身を竦ませた拳西さんに、もう一度その言葉を繰り返す。
「戻ってなんか、ないんだ……今だってオレは、たった一秒だって、拳西さんの傍を離れていたくないよ。でも……ううん。だからこそ……」
「修兵……」
「約束するから。あと少しだけ……お願い、あと少しだけ待ってて。霊術院を卒業して、九番隊に入って、あなたの背中を守る位置にまでオレは上っていくから」
「それ、は……」
副隊長になる、ってことか?―――耳元で聞こえる拳西さんの声が微かに震えている。
幼いオレが、昔、何度も語っていた夢。
そして、今も変わらぬ夢。
「………解ってるよ。拳西さんが今もどこかで、オレを死神にしたくないって思ってること。それがオレを守りたいが故の思いだってことも
知ってる。けれどオレは死神になって、九番隊に入って、どうしても……副隊長になりたいんだ。だって、それが拳西さんと共に生きて……
離れることなく傍にいて、生き尽くす方法だって解ったから……」
だから待ってて―――祈るようにそう告げる。
すると不意に……拳西さんがいつものようにオレを抱きしめて言った。
「早く、来い。修兵……オレが我慢できるうちに、絶対にオレの傍に……」
「うん……」
ずっと傍にいて、共に生きて、生きて、生きて―――
かつて、時に離れざるを得なかったオレ達を繋いでいた、銀光の環。
けれどもう、それに頼ることなく生きていけるための、再びの約束。
環が無くとも、唇からオレに流れ込んでくる拳西さんの想いは、強く強く……そして、昔と変わらずそれは、やはり優しくてあたたかい。
傍にいて、生きている。そして、傍にいて、生きていきたい。
身体で、心で、そして魂で感じられるその想いに身を委ね、そっと目を閉じたオレの視界には、そう遠くはない未来が、
確かな光を帯びて輝いていた。
<あとがき>
「龍状環」シリーズの最後は拳院生修。
一応、霊術院入学を機にこれを外した二人ですが、実は、やり方自体は修兵も知ってます。
浦原さんに伝授してもらいました。虚襲撃事件の際は、拳西さんに懇願され、浦原さんが
もう一度拳西さんと修兵を繋いであげる設定になっています(今のところ)。
そして、このお話に続いているのが、短篇集−巻之陸に収録した「永生の誓約」です。
さらに、それに続くお話と、上記虚襲撃事件のお話を、短篇集−巻之玖に収録予定。
おおぅ。怒涛の4部作になりました(苦笑)
この4部作は、「誰かと生きていると解るからこそ生まれる強さ」が裏テーマです。
生きるって言うのは、色々なことが生まれるって事の連続で成り立つのかもなーなんて。
ははっ、極甘党作家もちょっと考えたりするんです。
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