■ 反転の起年 ■
二月十四日―――六車拳西にとって、この日はこれまで無用にして苦痛の日であった。
過去、尸魂界にいた頃は、無用の日。
常に一匹狼の傾向が強く、恋人はおろか想い人なんて言う相手すらいなかった拳西は、当然「バレンタイン」などという行事にも
一切興味を持つことはなかった。
霊術院時代、そして九番隊隊長として六車九番隊を率いていた間、たとえチョコレートはもらっても、いつだって周囲の者達に配り分けてしまう。
というわけで、この間の拳西にとって、バレンタインといえば無用の日。
そして藍染達の企みによって、現世への滞留を余儀なくされていた間、二月十四日は限りない苦痛を拳西にもたらす地獄のような日。
その理由はただ一つ―――檜佐木修兵の存在であった。
虚化したあの日、悲劇が起きる前に出会った一人の幼子。
あの一瞬の出逢いによって、魂の心髄から惚れたその相手を想いながら現世で迎えるバレンタインは、拳西にとってみれば、
果てない懊悩をもたらすものでしかない。
どんなに想っても逢えない、そもそも無事に生きているのかすら解らない。
しかしそれより何より、修兵が生きていたとして、この日は―――
それを想うたび、拳西の心は千々に乱れた。
幼い修兵の可愛い顔立ちを思い出し、その成長した姿を頭に描くたび、ますます懊悩は深くなった。
自分以外の誰かから愛を囁かれ、修兵がそれに応えているのではないかと考えるたび、虚化した自分の身がこの上なく呪わしくなった。
そうしていつも最後は、修兵が自分を覚えていて、しかも自分を想ってくれているかもしれないという、ゼロにも等しい可能性にすがった。
当時は、そんな自分を笑うしかなかった。
可能性にすがりつくしかない自分が、非道く惨めで笑うしかなかった。
―――が、その可能性は紛れもない現実だったのだと、今なら解る。
自分と同じ時間だけ、修兵も自分を想ってくれていた。
それどころか、自分は拳西のものなのだということを、これ以上ない形で表明し、長い長い時を、誰にも添うことなく生きてきてくれた。
そして、全てが終わって平和が訪れた今、拳西の傍には修兵が添うようになった。
そうなってくると、拳西にとって、バレンタインが持つ意味は百八十度転換である。
しかも明日は、こちらに戻ってきて初めて迎えるバレンタイン。
前日の今日、つまり二月十三日には、当然、拳西としても色々と考えるわけで。
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「おい、真子はいるか?」
二月十三日の夕方、三番隊隊舎の隊首執務室―――その扉ががらりとあいた。
やってきたのは、九番隊隊長六車拳西。
珍しく一人きりの拳西に「あ、六車隊長、お疲れ様です」と、三番隊副隊長の吉良が声をかける。どうやら拳西の目的である真子は不在らしい。
その代わりにといってはなんだが、見慣れない顔の女性死神が一人、部屋の応接ソファに座っていた。
吉良と向かい合うように座ったその死神は、見た目だけで判断するなら、綺麗な女性であった。
ただ難を言うなら、その軽そうな性格と、ややもすると思慮の浅さが伺えるところが、いかばかりかの忌避要素。あまり仕事は出来そうにない。
隊長としての習い性で、瞬く間にそんな判断を下してしまった拳西、すると、まるでそんな拳西の酷評が伝わったかのように、
問題の女性死神がまるで、拳西を射殺さんばかりの勢いで睨み付けてくる――――――が。
(……誰だ、この女)
困ったことに、拳西には全く見覚えがない。
少なくとも九番隊の隊士ではないし、霊圧の大きさからして席官にもなっていないヒラ隊士のようだし……そうなると、ますます見覚えがないのだ。
自然、怪訝な顔をした拳西の眉間には、深い皺が寄っていく。
拳西の表情の不穏さと、そんな拳西を命知らずにもまだ睨み付けている女性の様子に気付いたためか、吉良がぽんぽんと手を打った。
「さ、六車隊長もいらっしゃったことだし、話はこれで終わりだよ。君は早く帰りな。いくら京楽隊長が寛大な方でも、そうちょくちょく仕事を
抜けてきて良いものではないよ」
「はぁーい」
「それから、毎年言ってるけれどね。君の頼み事は決して聞けないから、そのつもりで」
「………ふん」
仮にも副隊長相手に不満げに鼻を鳴らすとは、無鉄砲さだけはとんでもないらしい。
そのまま「失礼しました」の言葉もなければ、隊長である拳西への挨拶も無しに、脇を通り抜けていく。
そして吉良と拳西に残されたのは、残り香というにはきつすぎる香水の匂い。
自己主張の激しすぎるそれは、拳西にとってあまり心地よいものではない。自然、対極にある修兵の柔らかく甘い香りが脳内によみがえる。
吉良もこの香りの強さにはいささか辟易していたらしい。
換気のためか、執務室の全ての窓を開けた吉良は、しかしさすがのポーカーフェイスで拳西を部屋へと迎え入れた。
「すみませんでしたね六車隊長。お待たせして。えっと、うちの隊長にご用……で宜しいんですよね?」
「あぁ。ちょっと聞きたいことがあったんだが……」
「あいにく、今十二番隊でしてね。でもすぐに帰ってきますから、ここで待ってて下さいよ。今、お茶を入れますから」
「悪いな」
「いいえ。今日はうちはあまり仕事がなかったんですよ。そちらは?そう言えば、檜佐木先輩は一緒じゃないんですね」
「あぁ、修兵はまだ少し仕事があってな。オレの方が今日は早くあがったんだが、それでも修兵のことだから、あと三十分くらいであがるだろう」
「先輩、ここへ来るんですか?」
「いや。修兵にはここに来るとは言っていないから、直接家に帰るだろう。オレもそれまでに家に着きたいんだが……」
「大丈夫ですよ。平子隊長なら本当にあと五分もしないで帰ってくると思いますよ」
「そうか……あぁ、すまんな」
「いえ、粗茶ですがどうぞ。こちらもよろしければ」
そう言って、応接机の上にあった菓子入れの蓋を吉良が開ける。中には真子の趣味らしい胡麻せんべいがぎっしり。
折角だからとその中の一枚を手に取り、ばりばりと豪快にかじりだした拳西だが、こうして落ち着いてみると、妙に気になってしまうことが一つ。
「………なぁ、吉良。ちょっと聞いても良いか?」
「はい、なんでしょう」
「さっきここにいた女な……お前、あいつの素性を知ってるか?」
「え?あ、あぁ……えぇ、まぁ。彼女がどうかなさいました?」
「いや、さっきものすごい目で睨まれたんだが……見覚えのない顔でなぁ」
「そうですか……いや、六車隊長が気になさるような死神では……」
「あー……まぁ、気にするなって言えば気にしないでいることは出来るが……」
しかし、それはそれとして寝覚めが悪い。
それにどうやら吉良は、先ほどの女性と幾度も顔を合わせたことがあるようだ。
聞けば分かる相手が目の前にいるのなら、聞くに越したことはない。
「はぁ……そうですか?なら話しますけど……これ、先輩には内緒にして下さいね」
「修兵に?なんだ、修兵に関係のあることなのか?」
「えぇ。まぁ……実はあの子、霊術院で僕の二つ後輩にあたる子でしてね。六車隊長もご想像の通り、ちょっとまぁ……軽い感じの子で。
良い風に言えば、世渡り上手なんでしょうけどね。それでその、彼女、ずっと檜佐木先輩のことを……あー……狙って、いてですね」
「狙って?なんであの女が修兵の命を?」
「いやいや、命じゃなくて」
「あん?」
「あー、相変わらずその手のことには鈍感なんですね。つまりわかりやすく言えばですね、檜佐木先輩の恋人になりたがってると……
そう言うわけですよ。ただ、先輩のことを純粋に好きでそうなりたいと言うよりは、『檜佐木先輩の恋人』っていう付加価値を自分に
付けたいだけみたいなんですよねぇ……」
だから僕も含め、周囲の誰も彼女の応援なんてしたくないわけで―――そう言うと、吉良は、やれやれと溜息をついた。
「しかも、あの通り死神としての実力は低い部類に入るので、副隊長である檜佐木先輩との接点なんて、全くと言っていいほどないわけですよ」
「それで、修兵と親しい後輩で、同じ副隊長でもあるお前に頼み事ってわけか」
「えぇ、ほら、明日はバレンタインでしょう?何とか先輩と二人きりになれるように取りはからってもらえないかって、毎年毎年……
こっちは毎回断ってるのに、あきらめが悪いのか、僕なら頼みやすいと踏んでるのか……ま、二月十三日の恒例行事ですよ、もはや」
「そうか。なんか……すまないな」
「六車隊長が謝る事じゃ。それに今では彼女くらいなものですからね」
「くらい?それじゃ………」
昔はそうじゃなかったって事か?―――言外にそう問う拳西の視線に、「しまったなぁ」と呟く吉良。
だが、既に発してしまった言葉を否定してみたところで拳西は納得すまい。
あきらめ顔で茶を一口啜った吉良は「もう時効ですから、断地風は無しですよ」と前置きをしてから拳西にこう語った。
「六車隊長ももうご存じの通り、僕や阿散井君が先輩に出会ったのは、現世での実習の時です。その時の……例の事件が縁で、
それ以降も先輩とは交流がありましてね。ところが当時の先輩と来たら、まぁ……孤高の存在だったわけですよ。周囲のほとんど
誰ともしゃべらない。まともに喋るのなんて、僕と阿散井君、それに雛森君くらいなもので。
けれどあの実力に容姿……それに孤高って言ったって、他人に冷たいってわけじゃないんです。ちゃんと優しいわけですよ。それで男女
問わず人気がありまして。そうなればほら、バレンタインなんてもうすごいことになるわけです。当然、檜佐木先輩と一番親しく見える僕達
には、先輩と二人きりになれるように取りはからってくれと……多い年で百人以上はそんな頼み事をされましたよ」
「はーん………で?」
「あらら………そう怒らないでくださいよ、六車隊長。言ったでしょ、時効だって。僕だってそんなセッティングなんて気が進まなかったですけれど、
当時はどうしても断り切れない相手ってのもいたんですよ。それで、まぁ……しぶしぶ。
けれど、先輩、見事なまでに全てのチョコレートを受け取らないんです。「すまない、受け取れない」って一言。それこそ、今まで一つもですよ?
本命はもちろん、明らかに義理チョコだってわかるものとか……雛森君からのチョコレートすら受け取らないんです。昔は本当にそれが
不思議で……でも、今ならそれがよく分かります。ずっとずっと……先輩の心の中には、六車隊長しかいなかったんですね」
「…………あぁ」
「ははっ、そこに否定の答えが出てこないのが、拳西と修兵やなぁ」
「えっ………あ、た、隊長」
「真子……」
「はい、せいかーい。けど半分だけなー」
「は?」
半分だけ?―――一体何のことだと首を傾げる吉良と拳西。
それもそのはず、二人の前にはどう見たって真子しかいないし、それ以外の霊圧を微塵にも感じない。
そう訴えた吉良に、真子はからからと笑って言う。
「そりゃそーやわ。自分から霊圧消してんねんもん。拳西にまで気付かせんとはさすがやなぁ。扉に隠れてるけど、オレの横に
ちゃあんとおんねんで?」
「え、そ、それじゃ、そこにいるのって先ぱ……」
「せいかーい?……あらら、もーそない恥ずかしがらんとこっち来ぃな。え?帰るやなんて言わんの。用件は拳西と一緒やねんやろ?」
そう言って、真子が相手の手を引っ張る。だが、なかなか霊圧も姿も現れない。いつもは素直なその人物は、今日はやけに強情らしい。
だが「修兵、こっちに来い」と拳西が呼べば、可愛い抵抗もそこまで。
弱々しげな霊圧がゆらりと姿を現し、次いで真子に腕を引っ張られた実体も戸口に現れる。
だが、なにゆえか顔は俯き加減に逸らしたまま。拳西が再度名を呼んでもぴくりとも動かない。
まるで悪戯を見つけられた子どものようだ。ただ、はっきりと違うのはその肌の色。
地の白色を通した血色が、滑らかな肌を見事な紅に染め上げている。
そうなっている理由が、もはや誰にとっても自明であるためだろう。
「ほれ、拳西。んなとこで座っときっぱなしはなしやろ?」
そう言って拳西を呼んだ真子は、修兵の背を優しく押した。それと同時に吉良を呼び寄せ、副官と共にそっと姿を消す。
そして、立ち上がった拳西の腕の中に、修兵の身体がすとんと収まった頃、部屋を満たしていたのは甘い静寂。
胸の中で俯く顔に、拳西がゆっくりと問い掛ける。
「………修兵、いつからオレと吉良の話を聞いてた」
「っあ………い、院生時代の……ところから」
「………オレに嘘つくなんて、随分策士になったな」
「ご……ごめんなさい」
自分を責める言葉の裏に隠れた拳西の感情―――過去の自分を知り、この上ない喜びに満たされている拳西だからこそ
見抜けた小さな嘘が、唯々恥ずかしい。
本当は拳西と同じ時間に仕事は終わっていたのだ。
それをわざわざ終わっていないと言ったのは、どうしても拳西に内緒で、吉良を訪ねたかったから。
今更隠しても意味のないそれを言葉にのせてしまった修兵の肌が、更に赤くなる。
一際赤いその頬に手を添えた拳西は滅茶苦茶嬉しそうだ。
「そっか、修兵も初めてだったんだな……」
「うん……え、オレ……も?」
「あぁ」
「えっ、えっ、じゃ、じゃあ拳西さん……」
拳西さんも初めて、なの?―――顔の赤味も忘れ、驚いたように拳西を見つめる修兵。
丸く開いた黒い猫目が、徐々に喜色で満たされていく様は、他の何より雄弁だ。
「嬉しいか?オレが初めてで」と問えば、迷いなく、こくこくと首が揺れる。
「えっ、あ、あ、どうしよう……夢みたいだ、こんなの……」
「ん?莫迦だな、そりゃオレの台詞だ」
照れたようにそう言って、拳西が修兵の額に唇を寄せる。
「……どうする?明日の事は、当初の予定通り、お互い経験者に御指南頂くか?多分あの二人なら、洒落た店とかプレゼントとか
色々教えてくれるだろうし」
「うん、それでもいいけど……」
「?………どうした?」
「あの、もし、拳西さんが良ければ、実は昔からずっと、バレンタインにやりたいって思ってたことがあって……その、すごく当たり前
すぎて恥ずかしいんですけど……」
駄目……?―――先程までとは、また違った色に染まった肌が、拳西に問う。
問われた拳西からの返答は、薄紅に染まった瞼への無言のキス。
いつも以上にくすぐったいそれは、明日迎える百余年分の幸福を二人に予感させるものだった。
そして翌、二月十四日―――修兵から拳西に手渡されたのは、オーソドックスな手作りのハート形のチョコレート。
渡す方も受け取る方も、真っ赤になっていたことは、無論言うまでもない。
百年以上想い合った、初々しい恋人達の行為。
幸せそうな二人の姿に、真子や吉良達は皆、揃って目を細めたという。
<あとがき>
拳副隊長修バレンタイン★
100年以上両想いの二人ですから、恋人らしいイベントは何もかも初めてです。
原作設定の拳副隊長修は、この初々しさが書きドコロです!!
まぁ、それでも修兵はやっぱり人気があったわけで……それを心配する必要なんてこれっぽっちもない拳西さんですが、
やっぱり、修兵の口からそれを告げてもらえば嬉しさは増しますよね。
ずっとずっと、拳西さんだけを想ってました、って。
ちなみに、この年から修兵の義理チョコは解禁に(笑)もちろん、真子と白の入れ知恵によりですよ(笑)
羅武やローズ達仮面の軍勢組、ひっつんや一護などお世話になってる組はもれなくもらえます。
………恋次は、ご想像におまかせします(笑)
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