■ 環状の安堵 ■




巨虚に襲われていた子ども―――檜佐木修兵を九番隊隊長六車拳西が助けてから丁度一ヶ月。
つまり、修兵が拳西に引き取られてから一ヶ月後のこと。
護廷十三隊十二番隊の隊舎では、朝から延々とある人物の唸り声が鳴り響いていた。
音の出所は最近派手に改造された隊長執務室。
そこで十二番隊隊長浦原喜助が、今も彼に似合わぬ難しい顔をして唸り続けている。
喜助の目の前には、拳西と修兵。深刻な顔の喜助に比べ、拳西は穏やかな悟り顔。
その膝の上に座った修兵は、ジャンク風味の喜助の部屋に興味津々といった様子。
そんな二人に、もう一度唸り声を上げた喜助は、

「本当に……良いんですか?ボクが六車サンにお伝えしたのはあくまでも一つの策と言う意味で、これが最善というわけではないんですよ?」
「構わん。オレ達にとってはそれが最善だ」
「けれどですねぇ、修兵クンにあまりにも負担じゃないかと……」

そう言って、心配そうに修兵を見る喜助。しかし当の修兵は、そんな憂いはどこ吹く風。目が合った喜助にもにこにこと嬉しそうに笑っている。
これから自分の身に何が起こるのか、まるで思考の外と言わんばかり。その顔には一点の曇りもない。

「あのー……えと、六車サン。修兵クンに説明は?」
「した。包み隠さず全部。その上で修兵が選んだんだ」
だから、早いところやってくれ―――そう言って、拳西は己の右腕を修兵の左腕と共に、喜助に向かって差し出した。
「……本当に良いんですね」
「あぁ」
「修兵クンも……」
「うんっ!」
「即答か……強い瞳だ。なら……良いでしょう。ただし、修兵クンの身体を考慮して、一番弱いものにしますからね」
「………わかった」
「それでは……」
拳西の承諾を機に、喜助がぶつぶつと口の中で何かを唱え始める。
すると数秒後、喜助の指先に現れた銀色の光、それが、修兵の左腕に向かって徐々にその身体を伸ばし始めていた。



■■■■■■■■■■■■■■



翌日―――その朝のこと。

「行ってらっしゃい、修ちゃーん、また夕方にねー」
「うん。いってきます、白お姉ちゃん」
「拳西、ちゃんと修ちゃんのこと、無事に十三番隊に連れてってよねー」
「うるせぇな、わかってるよ。おめーら、オレが帰るまでに出動準備しとけよ」
「はい、隊長……修兵、行ってらっしゃい。必ず夕方には帰るからね」
「うん。衛島お兄ちゃん達、お仕事気を付けてね」
「あぁ、ありがとう。隊長、修兵のこと……」
「言われるまでもねぇって………よし、行くぞ修兵」
「あいっ!」

常に朝から全力起動の九番隊、その隊門に、今朝はずらりと幹部達が終結していた。
その顔は、白を除き、既に寝起きのそれではない。
彼らはどうやら、こんな朝からどこかへ出掛けるらしい、拳西と修兵の見送りらしい。
「いってきまーす」
皆の声を背に隊門をくぐり抜けながら、修兵がバイバイと手を振る。愛らしくも小さい手のもう一方は、拳西の手の中。
それをゆるく引いてやりながら、拳西が問う。

「修兵……今日は抱っこは良いのか?」
「うん。浮竹たいちょーのところは、そんなに遠くないから頑張る」
「そうか。疲れたら、いつでも言えよ」
「うんっ!」

ゆっくりとした大きな歩幅に、小さな歩幅が一生懸命に続いて行く。
この二人、端から見れば完全に親子である。
早朝とは言え、決して人通りが少なくない瀞霊廷内で、やけに目立ってしまうのも道理。
もっともそれは、良い意味でのこと……だとは思うのだが。
九番隊隊長、六車拳西が流魂街から幼子を引き取った。
しかもその子は、とんでもない潜在霊力を抱え、のみならず見目がとんでもなく愛くるしい――― 一ヶ月前、瞬く間に瀞霊廷を
駆けめぐったその噂の主は、今も注目の的だ。
二人が歩を進める度、興味と言う名の視線が幾つも修兵を取り囲み、その全てが一瞬にして拳西の威圧的なオーラに気圧されていく。

(ったく……いい加減に静まれってんだよ……!)

一ヶ月経っても一向に冷めない修兵熱に、拳西は無論不機嫌一辺倒。
それが自分の独占欲ゆえの感情であることは、端から承知だ。
けれど、否、だからこそ拳西の不機嫌は留まることを知らない。
一方の修兵は、きょろきょろと辺りを見回し、誰かと目が合う度、びくんと肩を揺らしていた。
そんな時は必ず、自分の手を繋ぐ拳西の手を見つめ、次いで視線を上に向け、安心したようにほっと笑う。
(まだ怯えてるな……)
流魂街に比べれば、遙かに安全なはずの瀞霊廷だが、修兵にとってここはまだ異界。
周囲の不躾な視線も含め、急激な環境の変化に慣れるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。
それが解るからこそ、今日も拳西は、さりげなく修兵を抱き上げてやった。

「わ、ぁっ……!」
突然間近になった猫目が、驚きでくるくると丸くなっている。何度見ても見飽きることはない素直な反応が、たまらなく可愛い。
履いていた草履を手早く脱がせ、いつものように片腕で身体を支えてやれば、ようやく修兵は今の状況を理解したらしい。
「え、けんせ……けんせ、どしたの?修、まだ歩けるよ」
「いーんだよ。オレが修兵を抱っこしたいだけだ」
「……どして?」
「今日は修兵なしで一日仕事だからな。一日分お前のこと抱っこしてぇの」
「けんせ……」
「わかったら、おとなしくオレに抱っこされてろ」
「………うんっ!」
その途端、抑えきれない嬉しさをのせた声と共に、細い腕が首に回される。子ども特有の甘い菓子のような匂いが、ぐんと近くなった。
「けんせっ、もっとぎゅーってして」
「んー、わかったわかった」
今日は歩くなんて言っていたが、本当は、こうやって自分に抱っこされるのを待っていたのだろう。
腕に力を込めてやると、呼応するように修兵の腕の力も強まった。
他の何も求めず、こうしてただ自分だけを求める修兵―――最初は確かに、そうするしかなかったからなのかも知れない。
巨虚に襲われ、何がどうなっているのか解らぬまま瀞霊廷に連れてこられ、迫力満点の総隊長に面会した後は、猛者揃いの九番隊。
けれど今はもう、それだけが理由ではないのだ。それを裏付けるかのように、この一ヶ月、修兵は自分から一時たりと離れようとしなかった。
それは、仕事中も同じである。
仕事をしている自分に、遊んでなどと我が儘は言わない。ただ隣で、時に膝の上でじっと自分にくっついている。
自分が立ち上がれば修兵も立ち上がり、白羽織の端を握って、ちょこちょこと一生懸命に付いて歩く。
拳西の傍にいたい―――幼子の無言の声は、常にこちらに伝わってくる。

(わかってるよ、お前の想いは……)

その想いは、拳西とて同じなのだ。
巨虚から助けた直後、自分に抱きついてきたその瞬間から、必死で自分の傍に居続けようとする修兵が、愛おしくて仕方がない。
食事を初め全ての時間を共にしてみれば、時間に比例し、想いは確実に膨らんでいった。
しかしそんな自分に戸惑いがなかったと言えば、それは嘘になる。
修兵は自分が引き取るという拳西の言葉に、九番隊の幹部達は、最初随分驚いていたものだが、誰より驚いていたのは他でもない
拳西本人だった。
六車拳西という男、それが生来のタチなのか、これまで特定の他人に興味を示すことが全くなかった。九
番隊隊士全体に対する気配りは、理想的な隊長のそれだが、誰かを特別な存在として見たり扱ったりということは、これまで一度もない。
よく言えば淡泊、悪くいえば他人に対して無関心の男だったのである。
誰かが常に傍にいるなんて、考えられなかったことだ。それが今や仕事の最中でさえ、拳西の傍には修兵がいる。
時に膝の上に抱き上げ、頭を撫でてやりながら拳西は仕事に励む。
修兵が傍にいない生活など、もはや想像したくもない。

『だって、仕方がねぇだろうが……』

圧倒的な潜在霊力は隠しようがない。このまま流魂街においては、またいつ虚に狙われないとも限らない………一ヶ月前、修兵のことを
聞き付けて集まってきた真子達に、それらしい口実を並べ立ててはみたものの、自分の心と真子の鋭い目はごまかしようがない。
傍目には『親子』、当人達には『それ以上』な関係が始まって、こうして一ヶ月。
お互い、傍にいることが当たり前の生活―――とは言え、拳西は九番隊の隊長だ。
隊舎内で行う業務だけでなく、対外業務もこなさなければならない。中にはどうしても修兵を連れて行けない仕事もある。
そして今日は朝から一日その類の仕事―――八番隊との合同任務なのである。

「……ごめんな、修兵。一緒にいてやれなくて」
「うん……でも、だいじょぶ。ちゃんと浮竹たいちょーのお部屋で待ってるから」
「………本当に大丈夫か?」
「ん……」
「隠さなくて良い、ちゃんと言え。いくら浦原の術があっても―――」
「……うん」



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護廷十三隊十三番隊隊舎内にある隊長私室―――通称『雨乾堂』
普段、隊長である浮竹十四郎が療養のために用いているこの部屋が、今日は子供用の玩具や甘菓子で賑やかにあふれかえっていた。
「いらっしゃい六車隊長、それに修兵君、おはよう」
部屋の主も、いつになく元気そうだ。十三番隊の隊士に案内され、雨乾堂へとやって来た拳西と修兵を、浮竹は満面の笑みで出迎えた。
「さ、さ、座って座って。今お茶を……」
「いや……気遣いはありがたいんだが、オレはすぐに出ないとまずい。今日は世話になる。修兵、挨拶は?」
「きょ、今日はよろしくおねがいします、浮竹たいちょー」
「うん、よろしくね修兵君。今日は……六車君は一日なんだよね。春水と一緒で」
「あぁ。オレだけじゃなく、九番隊も八番隊も総出でな。まぁ、オレも京楽も残業は好きじゃねぇし、夕飯までには終わらせるつもりだが」
「じゃあ迎えは……」
「六時。それを過ぎることはない。修兵をよろしく頼む」
そう言うと、拳西は深々と頭を下げた。修兵も倣って深く一礼。
拳西が他人に頭を下げることなど、滅多にない。この一礼だけでも、拳西がどれだけ修兵を大事に想っているか、痛い程よくわかる。
「うん。大丈夫。君に心配をかけるようなことは、決してないと約束する」
だからこそ、浮竹も襟を正してそう返す。
「今日一日、僕が責任を持って修兵君と一緒にいるから」
「……恩に着る。修兵、浮竹の言うことをちゃんと聞いて、良い子で待っていられるな」
「うん……だいじょぶ、修、ちゃんとわかるから、けんせーを待ってる」
「そうか………」
「でも……」
「ん」
「ちょっとだけ、抱っこ……」
「あぁ……おいで、修兵」
そう言って、手を広げて見せた拳西に、修兵がゆっくり、しかし力一杯抱き付く。
お互い言葉ではああ言っているが、離れたくないと思っているのは一目瞭然だ。
そんな二人の様子に、浮竹の顔が一瞬だけくもる。

(修兵君……今日も泣いちゃうかな)

実は一週間前も修兵を預かった浮竹、しかしその時は、わずか二時間拳西と離れるというだけなのに、修兵は大泣きに泣いて拳西から
離れようとしなかったのだ。
拳西があやし宥め、何度もキスをし抱きしめて、その時着ていた白羽織を脱いで修兵に握らせることで、やっと二時間―――それでも
拳西と離れている間中、白羽織を身体一杯で抱き込んだ修兵は、浮竹がどんなに宥めてみても、ずっと泣きっぱなし。
あの小さな身体で二時間も泣き続けるなんて凄い体力だと、逆に浮竹は感心してしまったくらいだ。
だからおそらく今日も―――ところが、浮竹の予想は見事に外れ。
自分に抱き付いてきた修兵に拳西がキスをして、一度ぎゅっと抱きしめて、もう一度キスをして、修兵が「いってらっしゃい、けんせー」と、
最後に一回キス。
名残惜しそうにお互い身体を離したものの、修兵が泣くことは全くなかった。
(あれ……?)
泣かれることを覚悟していた浮竹にしてみれば、ある意味拍子抜けである。
修兵に泣かれるよりは全然良いのだが、不思議な思いは当然残る。
子どもは日々成長すると言うが、たった数日で親離れとは考えにくい。
ましてや、拳西と修兵である。
修兵も自分から『抱っこ』をせがんでいたし、拳西もそれを拒まなかった。
ということは、この二人はまだ完全に『甘えた盛り』と『甘やかし盛り』。
だとすれば、今日の修兵はなお不思議である―――が。

(まぁ……いいか)

元々、子どもが大好きな浮竹である。
詮索は可能だろうが、今はその時間が勿体ない。
自分と二人きりでも、修兵は笑ってくれる。浮竹には、それで十分だった。
準備した玩具や甘菓子も、修兵に大好評。
本を読み聞かせれば、異国の物語に目を輝かせ、子どもの味覚に合わせて特注した菓子を食べさせれば、旺盛な食欲で応じてくれる。
「浮竹たいちょー、今度はこれで遊ぶー」
「うんうん」
間近で見る子どもらしい姿は、掛け値なしに可愛くて、時間が経つのも忘れる程。
ただ、少し気になることがあった。
(あ、まただ……)
何をしていても、ふとした瞬間、修兵が自分の左手首を見つめるのだ。
初めは怪我でもしているのかと思った浮竹だが、擦過傷も打撲傷も見あたらない。
なのに、何が気になるのか、事あるごとに修兵は自分の手首を見つめている。
「ねぇ……修兵君、手首がどうかしたのかい?」
三時のおやつの時間を迎え、とうとう浮竹は修兵にそう尋ねた。
すると白玉を頬張りながら、またも手首を見つめていた修兵が、逆にこう問うてくる。
「手首?……手首ってここ?」
「あぁ。朝からずっと……そこを見ているから気になってね。痛いのかい?」
「ううん」
「じゃあ……どうして?」
痛くはないなら取りたてて心配することもないだろうが、やはり気になる。
それに、子どもは大人に比べて感覚が鋭敏だというから、自分が感じ取れない何らかの異変を、この子は感じているのかも知れない。
そう思っての発言だったのだが、何故か修兵が見せたのはちょっと困ったような顔。
はて、と首を傾げた浮竹に「みんなには内緒だよ?」と、子どもらしい前置きをした修兵は、小さな声でこう言った。

「あのね……けんせーと繋がってるの、ここで」
「繋がってる?六車君と、手首で?」
「うん」
「なるほどね、えーっと……」
言いたいことは解らなくもないのだが……否、やはり解らない。
「修兵君、繋がってるって言うのはどういうことだい?」
「え?んっとね……ほら、この輪っかから出てる糸がね、けんせーと繋がってるの」
「輪っかと……糸?」
修兵の言葉に、浮竹は先程以上に思い切り首を傾げた。
それもそのはず、修兵がいう『輪っか』も『糸』も、影も形もないのだ。
「見えない?……じゃあ、見えるようにするね」
「え、見えるように、って―――あ」
「見えた?」
「見え、たけど………これ、まさか龍状環?」
「りゅーじょ……?そう言うお名前なの?」
「あぁ……うん」

龍状環―――それは、特別縛道の一つだ。
二つの環を一本の糸が繋いだ形状、すなわち手錠と同じような形をしており、主に罪人の拘束に使われる。
それ故に普段は使用が制限されている縛道の一つ。
否、そもそもこの縛道を使えるもの自体、限られているのだ。
端的にいえば、それは二番隊、隠密機動関係者のしかも上位席官のみ。
現在この技をこれほど完璧に扱えるのは、夜一を含め十人もいないだろう。もちろん、浮竹自身も使えないし、拳西も使えるとは思えない。
「ねぇ修兵君……これ、誰がかけてくれたの?」
「んっとね、浦原たいちょー」
「あぁ、なるほど浦原君か……」
それなら、浮竹も納得である。
現十二番隊隊長、浦原喜助は元二番隊三席。それに夜一の最も親しい友人の一人だ。
喜助ならこれほど完璧な龍状環をかけられても不思議ではないが……しかし、これが龍状環だとすると、真に驚くべきはそこではない。

(まさかと思ってたけど、噂は本当だったのか)

修兵の潜在霊力―――一目でその巨大さを見抜いた総隊長を、しばらく沈黙せしめたという噂は、どうやら本当だったらしい。
修兵の手首で輝く銀色の輪と糸、それが何よりの証拠。
(本当に、何て子だ……)
特別縛道である龍状環には、いくつかの特徴がある。
一つ、術をかけた術者にしか、解錠ができないこと。
二つ、二つの環を繋ぐ糸は、どこまでも伸び続けること。
したがって二人の人間に一つずつこの環をかければ、お互いが居る場所まで糸を手繰って辿り着くことができる。
そして三つ―――二つの環は装着者の霊力を吸収する。
つまり………

(食われ続けてるんだ、この子は今も自分自身の霊力を……)

 環に吸収される霊力は調整が可能なものと聞いている。
今まで浮竹の目に龍状環が見えなかったのも、吸収され続けている霊力が極めて微細なものだったからだろう。
それを修兵が、一瞬、意図的に大量の霊力を、自らこの環に注ぎ込んでみせたのだ。
しかも、何事もなかったかのような涼しい顔で。
だが、これは元々罪人を拘束するための縛道だ。この環に常時、修兵自身の霊力が食われていることは紛れもない事実。
いくら膨大な霊力をその小さな身体に秘めていると言っても、負担がゼロというわけではない。
だから正直、浮竹は複雑だった。
それは、何故修兵がこれを付けているか解るからこその、懊悩である。
だが―――

「すごいでしょ。けんせーとね、いつも一緒なんだよ」
「修兵君……」
「ずっと、ずっと、ずーっとね、一緒なんだよ……」
そう言って笑う修兵に、結局、何を言うこともできないまま時は過ぎていった。

そして、夕方―――

「やぁ。ただいま十四郎」
「春水……あぁ、六車君も一緒だったんだ。時間通りだね。修兵君は今―――」
「眠ってる……だろ?」
「え、あ、あぁ……」
その、通りだが―――戸惑う浮竹の脇を、拳西がするりと通り抜けていく。
場所を問う必要はない。自身の右手首の環から伸びる糸を辿れば、程なくして拳西の目に、子供用の布団で、くぅくぅと眠る修兵の姿が映る。
「沢山遊んでもらったのか、良かったな修兵」
「ぅにゃ……ぁ、けん、せ」
「あぁ。ただいま……」
そう言って、布団の中に手を差し入れた拳西は、修兵の身体をゆっくりと抱き上げた。
未だ眠り続ける修兵は、それでも拳西が傍にいることだけは解ったらしい。
そこが自分の居場所だというように、拳西の腕の中で、小さな身体がくるんと丸くなる。
その左腕に光るのは、二人だけに見える銀光の環。
そして、不可視のそれに目を凝らす四つの目―――そのうち二つは、少し物問いたげでもある。
その気配を察したためだろう。拳西は穏やかにこう言った。

「………怒ってるのか、浮竹」
「いや………あぁ、そうだね。少し、怒っているのかもしれない。どうして……」
「………オレだけじゃない。修兵も望んでのことだ。他に方法があるかも知れないと浦原は言ったが、今のところこれが、
オレ達には最善だった」
「それは解らないでもない。僕に龍状環を見せて、君と繋がっていると言っていた修兵君は、本当に嬉しそうに笑ってた。
でも、これでは修兵君が―――」 
「十四郎」
「春水……」
「平気。君が心配するようなことはない。僕もさっき六車君から聞いたんだが、大丈夫なんだよ。あれは龍状環をベースにした、
浦原君オリジナルの縛道らしい」
「オリジナル?」
「あぁ。だよね、六車君。十四郎に説明してあげちゃくれないかい?でないと、十四郎の心配は長引いちゃうだろうからねぇ」
 
京楽はそう言って、浮竹の肩をぽんぽんと叩いて見せた。拳西としても、説明の必要性は解っていたのだろう。
自身の右手で修兵の左手を持ち上げて見せると、
「京楽が今言った通り……こいつは形状こそ龍状環に似てるが、用途はまるで違う。例えるなら、常時通話中の伝令神機ってところか」
「え、伝令神機……だって?」
「あぁ。浮竹、お前が懸念してるのは、こいつが修兵の霊力を食ってるように見えたことだろう?けれど違う。確かに龍状環は装着者の
霊力を食う。だからこそ霊的拘束を必要とする罪人によく使われるわけだが、こいつは霊力を食いはしない。ぱっと見、食ってるように
見えるがな。実際はただ単に、等量の霊力を相手方に運んでるだけなのさ」
「運ぶ?と言うことは、修兵君の霊力が君のもとに行って、それと同じ量だけ君の霊力が修兵君のところへ来ているというわけかい?」
「あぁ」
「それで……相手のところに霊力を運んで、それで終わりかい?」
「いや。それだけじゃ結局、お前の懸念は変わらないわけだろう?浦原の術のすごさは、自分の元に届けられた相手の霊力を、
己の身体に取り込ませる点にある。こうすれば結果的にお互い失う霊力は、プラマイゼロになるってわけだ」
「え、相手の霊力?何、取り……何だって?」
「十四郎、要するに、君がよく受けている点滴みたいなものさ」
「点滴……ははあ、なるほど。つまり、修兵君の身体に六車君の霊力が………え、ちょ、ちょっと待ってくれよ。何だって!?」

京楽の解説に、思わず浮竹が声を荒げる。普段は穏やかな浮竹の大声に「まぁ、吃驚するよねぇ」と、京楽も肩をすくめてみせた。
大げさに思える二人の驚きだが、無理もない。
いくら潜在能力が高いとしても、修兵の身体に取り込まれるのは、隊長格である拳西の霊力だ。
拳西にしてみれば単に等量の霊力を交換しているだけに過ぎないのかもしれないが、修兵にとってはそうではない。
そもそもこの術は、修兵の傍にいてやれない時間を、それでも傍にいるようにしてやるにはどうしたらいいかという拳西の依頼に応じ、
浦原喜助が独自に作り上げたものだった。
物理的に傍にいない死神同士が、お互いを関知する手段は霊力――ならば、相手の霊力を直に感じられるよう、常時お互いに霊力を
交換し合うようなルートを敷いてやればよい。
天才科学者たる浦原喜助が出した結論が、それであった。
そうして出来上がったのが、龍状環をベースにしたこの縛道だったというわけ。
だが、組上げた縛道を実際に発動させる段階に来て、大きな懸念事項が現れた。
それこそが、拳西の霊力に対する修兵の身体耐久度。

「………浦原も最後までそいつを心配してた。修兵の身体に何らかの負担がかかる可能性が高いって言ってな。オレ達の霊力交換量を
限界まで抑えたのもそのためだ。けれど昨日、実際に術をかけてみて……一番驚いてたのは術者の浦原自身だった。なにせ……」
修兵の身体には、負担になることなんて、何一つなかったんだ―――抑えきれない感情をにじませながら、拳西は言う。
「それどころか、むしろ……その逆でな。オレの霊力が修兵に流れ込んで行くたび、オレに沢山守られてるみたいだって言って、
すっげぇ嬉しそうに笑ってさ。浦原も本当に驚いてた。あいつが言うには、普通、他人の霊力が身体に入ってくるとき、誰しもそこに抵抗を
感じるものなんだそうだ。自分とは異なる存在が入ってきたって、魂が感応するんだと。ましてや、自己存在力の強い隊長格の霊力なら、
尚更だって言うんだよ。身体に負担がかかるって言うのは、つまりその抵抗が生じる故の事象なんだと。
だから……なぁ、浮竹、信じられるか?京楽も。修兵にとってオレが傍にいるってことは、例えどんな形をとったとしても、こんなにも
当たり前で自然なことなんだって」
「………うん」
拳西と繋がっている、そう言った修兵の顔は、真実笑顔だったから―――拳西の説明と最後に放たれた問いに、浮竹は素直に頷いた。
「途方もないねぇ、君達はさぁ……」と、京楽も微苦笑混じりで頷き返す。
明かされた幼子の無垢な想いに、三者三様、感激しているようだ。
だが、そんな隊長三名の感情の揺れは、子どもの意識を揺さぶるに十分だったのだろう。
それまでぐっすり眠っていた修兵が、不意に拳西の腕の中でむずがるような声をあげた。
はたと我に返り「あぁ、ご、ごめん、起こしてしまったね」と慌てて謝る浮竹。
それに「気にするな」と応じた拳西が、修兵の背中をぽんぽんと叩く。
そのまま上体を起こし、定位置である首元にこてんと頭がのれば、起床完了。
「ただいま、修兵」と告げる間もなく、甘い菓子のような匂いが拳西の鼻腔をくすぐった。

「おかえりなさい、けんせっ!」
そう言って、喜び一杯の笑顔と共に修兵が拳西に抱き付く。
その途端、可視状態となった四つの環。
「………見えるかい、十四郎」
「あぁ……」
お互いを柔らかく包む、環状の想い。
京楽達の目に映ったのは、拳西と修兵、お互いの首と背に回された腕で形作られた、大きさの違う二つの環、そして、更にそれを繋ぐ
二つの銀環の穏やかな光であった。
                                 




<あとがき>
短篇集に載せている話は、大きく2つの時間軸に分かれています。
1つは、原作設定。あの事件を機に拳西は現世に降り、修兵は拳西にあれ以来会うことのないまま、副隊長にまで上り詰め、東仙隊長達に
裏切られ、現世で拳西さんと再会。全てが終わった後は拳西さんが9番隊隊長に復帰して、修兵が副隊長に、と言う設定です。
そしてもう1つが、いわゆる「仔修が引き取られて事件も起きない」設定です。短篇集にのせている拳仔修と拳院生修のお話は、
全てこの設定のものです。拳副隊長修だけ1つ目の設定で書いています。
短篇集の3.4.5巻は、それぞれ仔修、副隊長修、院生修であることをテーマに編集していった本です。1つはバレンタイン、
そしてもう一つのテーマが、この『龍状環』という特別縛道をテーマに、二人の絆を描こうというものでした。
第3巻のそれは仔修。仔修はもう、拳西さんと一緒にいないと駄目なんです。でも、実はそれも拳西さんも一緒なわけです。
今回のこのお話は、仔修の想いをメインで書きましたが、拳西さんで書いたらそれはそれで甘い拳仔修が出来上がったと思ってます(笑)




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